本の映画化で、注目を集める著者2人が古本屋でその経験を語るーAuthors talk about their experiences of movie adaptation


そのうち春が来てもう少し気候が暖かくなったら、今回のイベント会場となったこの場所も「ブックストア・カフェ案内」のコーナーに加えようと思っているのが、ソーホーにある「Housing Works Used Book Cafe」。ハウジング・ワークスは、市内数カ所にあるリサイクルショップで、ここの売り上げは全て慈善団体に寄付されるという。そう聞くと、お店の方もさぞかし汚かろー、と思ってしまうのだが、どっこい、どの店もけっこうきれいに整頓されていて、思わぬお宝が見つかることも多い。

セコハンの本を置いているのは、ハウジング・ワークスのお店の中でもこのソーホーの店舗だけで、中に入ると雰囲気もいいし、カフェも併設されているし、古本とは思えないきれいな品揃えだったりする。そしてもうひとつ「ブックオフ」なんかが逆立ちしてもかなわないだろうと思われるのが、朗読会などのイベントだ。寒空の中、何十人もの若い人たちがお一人様7ドルを払って、古本屋さんを満員にする、こんな素敵なことがあるだろうか。(ヒドイ写真でスミマセン。またいずれこのお店はちゃんと紹介しますので。)

今回のイベントゲストは、ニューヨーカー誌のジャーナリストであるスーザン・オーリンと、ベテラン作家のルイ・ベグリー。2人とも最近、自著が映画化され、その映画がいくつか今年のアカデミー賞にノミネートされている。

スーザン・オーリンの「The Orchid Thief」は元々、フロリダの湿地帯に咲くという「幻の蘭」を追いかける、一風変わった男を取り巻く世界を描いたノンフィクションだ。それが「Being John Malkovich」などを手がけたアンディー・コーフマンの脚本で、映画「Adaptation」となった。主演のニコラス・ケージが脚本家のアンディーと双子の弟チャーリーの1人2役をこなし、メリル・ストリープがスーザン本人として映画に登場し、蘭を追いかける男をクリス・クーパーが好演して、彼はアカデミー助演男優賞の有力候補となっている。

しかし、いくら「The Orchid Thief」を原作にしているとはいえ、これはその本のアダプテーション(映画化)のストーリーで、原作者がけっこう重要なキャラクターとして映画に登場しているのもおかしいし、中心となるストーリーは、この脚本家がどうやってこの本を映画にしようかと悶々と悩み続ける話だったりする。

同じくアンディー・コーフマンの脚本による「Being John Malkovich」も突拍子もないストーリー展開で(今すぐレンタルビデオ屋さんにゴー!)個人的にも気に入っている映画なのだが、ベテラン俳優マルコビッチ本人が出てきて、このナンセンスな映画を楽しんでいる風でもあった。

自分が書いたノンフィクションが奇想天外な映画にされるのはいかがなものか?との質問にオーリンは、自分が書いたのは実在する男について書いたレポタージュなので、元々「自分の作品」という意識はあまりなかったと答えていた。この辺の認識は日本のマスコミの著者権云々のやりとりを見ていると、あまり浸透しているとは思えないのだが、ジャーナリストが自分の書いた記事に対して主張できる著作権は、フィクション作家のそれと比べると、かなり限られている。「事実」には著作権がない、というのが基本的な考え方だ。つまり、ニュースの報告はあくまでも「事実」であって、「だれが、いつ、どこで、どうした」という事実は他のニュースソースから引用してもコピーライト違反にはならない。ただし、それをどう描写したかには著作権がある。誰かのニュース記事からそのまま写し取ってくると、盗作になるけど。

著者にとって、著書の映画化権が売れるというのは、どのぐらいのインパクトがあるのか? 実はハリウッドは何でもかんでも「オプション」といって「一応、映画化権を押さえておく」ことはよくやるのだが、それが実際に映画となって完成するのは全体の数分の一。オーリンもオプションが売れた時点で、最初は「映画のプレミアには何を着ていこうかしらん、ルンルン」と喜んではみたものの、後は忘れていたほどだったとか。

というわけで、オーリンは脚本の進行状況について定期的に報告は受けていたものの、その内容に関してはノータッチだったという。でも、報告があるたびに「あなたがキャラクターとして出ることになったんだけど」「本には出てこない人が1人か2人(双子だという意味)出てくるんだけど」「あなたのキャラがリサーチ対象の男性と関係を持って、ドラッグに手を染めるんだけど」「あなたのキャラクターが人を殺しちゃったりするんだけど(これは結局、削られることになった)」などと言われて「一体どーゆー映画になるんだ?」と、開いた口がふさがらなかったとか。

でも、最終的には、この本をどういう風に映画にすればいいのかという脚本家の葛藤、つまり「本」というものに対する愛着が感じられる映画だと思ったので、オーケーしたという。

一方、ルイ・ベグリーの「About Schmidt」も、原作と映画ではかなり設定が変わっている。原作では主人公はニューヨークに住んでいて、定年退職した弁護士で、娘の結婚相手がやり手のユダヤ系だったのに対し、映画では舞台はネブラスカ州オマハというド田舎、しがない保険セールスマンという設定で、娘の結婚相手は今もネズミ構に手を染めそうな男。おまけに原作では、シュミットの前に「キャリー」という魅力的な年下の女性キャラクターが登場するのだが、映画では抹殺されている。最初、そのことを聞いたベグリーは、自分でも気に入っていたキャラを消されてとまどったが「シュミット役をジャック・ニコルソンが演じる」ことだけをよりどころにして映画化を見守ったという。

2人の意見が一致していたのは、本と映画は全くの別モノ。原作を忠実に映像にするのはほとんど不可能だし、本をなぞるだけでは映画として成功しない、ということ。ベグリーは、昔の「戦争と平和」やカフカの「審判」などは例外だけど、と言っていた。昔はフォークナーもお金稼ぎに脚本を書いたり、今もガルシア=マルケズやジョン・アービングのように、自著の映画化に積極的に関わる作家もいるが、ハリウッドと出版じゃ同じ娯楽メディアでも雲泥の差、自分が口を出すよりも、映画化に携わる人の才能を信じて任せた方がいい、という結論だった。

んじゃあ、共通点は?と聴衆に聞かれて、ベグリーは「映画も本も、それを受け取る側の人が今まで知らなかった世界をちょっとでも覗かせたり、新鮮な『擬体験』を提供したりして、本を読んだり映画を観た人の意識を揺さぶることができれば、その使命を果たしたと言えるのは同じだと思う」と発言して集まった聴衆の喝采を浴びておりました。

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ニューヨークと東京を往復する文芸エージェント。 日本の著作品を欧米マーケットに売り込むべく孤軍奮闘中。
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