10年かかって2作目を書き上げたドナ・タートは、それでも余裕綽々ーDonna Tartt follows up on “Secret History” after ten long years
世の中にはスティーブン・キングやパトリシア・コーンウェルに代表されるように、次々とベストセラーを飛ばす筆の速〜い物書きがいるように、その反対に何年も何年もかかって一つの作品を書き上げる「遅筆」な作家もいる。ドナ・タートは1992年、処女作『シークレット・ヒストリー』で一世を風靡した新人作家だったが、その後なんの音沙汰もなく10年が過ぎ、ようやく第2作がこの11月に日の目を見ることになった。
「わー、久しぶりー」という驚きよりも「え、まだ作家やる気でいたの?」という感じ。あれだけ処女作で騒がれてしまうと、その後に何を書いても批判を受けるだろう、というのが目に見えていた。で、実際にどのぐらい騒がれたのかを説明した方がいいかも知れない。
日本では扶桑社ミステリーとして刊行されたが、これはどうも腑に落ちない。同級生を殺した犯人が最初から(それも1ページ目の1行目から)分かっている『シークレット・ヒストリー』がなぜミステリーなのか、日本で刊行された94年といえば、「このミス」が圧倒的な支持を受けていた頃で、翻訳作品は無理をしてでもとにかく「ミステリー」とレッテルを貼ってしまえば、幾ばくかの読者が見込めたからだろう。結局たいした話題にはならなかったように記憶している。
ところがアメリカでは、ドナ・タートほど未来を嘱望され、華々しくデビューした作家はいなかった。SF界の新井素子の比ではない。ミシシッピで生まれ育ったドナ・タートは大学生の時にかのウィリアム・モリスに「天才的な文才がある」と言われ、バーモント州の私立大に転校、そこで同級生だった、かのブレット・イーストン・エリスに薦められて、業界一の凄腕文芸エージェントである、かのアマンダ・アーバンと契約し、45万ドルという当時では破格のアドバンスで、文芸出版では最大手の、かのクノッフから初版7万5000部(新人はまぁ、1万部刷ってもらえばいい方)という破格の数字で、装丁はかのチップ・キッドが担当し、かのジョン・グリシャムや、かのジョイス・キャロル・オーツに絶賛され、23カ国語に翻訳され、国内で100万部売れたという、まさに「かのかのしい」文壇デビューを果たしたのであった。
今でも彼女のファンサイトはネット上にいくつもあるし、最近ではグウィネス・パルトローが弟に監督させて映画化を進めているとか。しかしデビュー後、音沙汰がなくなると、思いっきりスランプに落ち込んで筆を断ったという噂が流れたり、たまーに雑誌に短いエッセイを寄稿していたが、実はコツコツと第2作に取り組んでいたのだ。これもまあ、デビュー作の印税があったからできたことだと本人も認めている。
「The Little Friend」と題された新作は、幼い頃に弟を殺された13歳の少女が犯人探しに乗り出す話だが『シークレット…』とはかなり趣が違うので、デビュー作のファンはガッカリするだろう、と今から言われている。こっちの方がミステリーっぽい筋立てのようだが、売れ行きはともかく、チヤホヤされて作家道から外れることなく、亀のように執筆する毎日を送っていたことに敬意を表して2作目も読んでみるつもりだ。
どこかの雑誌が計算していたけど、10年で600ページだから一日47ワードのペースだとか。他にも遅筆な(あるいは作品と作品との間が長い)作家には、 12年も経ってから最近「The Clan of the Cave Bear(大地の子エイラ)」の続編を出したジーン・アウルとか、「バージン・スーサイズ」の後9年振りに「Middlesex」を書いたジェフリー・ユージェニデスもいる。そういえばチャールズ・フレージャーも「コールド・マウンテン」の後、今頃次作が数年後にどうのこうのと言っているし、「Snow Falling on Cedars(殺人容疑)」のデイビッド・グターソンもあの後、エッセイやら短編やらでごまかされている気がする。
「作品を出す頻度と、文才の間に関係はない」と言ったのは誰だっけ?









