アマゾンのジェフ・ベゾスがワシントン・ポスト紙を買ったから椅子から転げ落ちた—Jeff Bezos buys WaPo


アマゾンCEOのジェフ・ベゾスがワシントン・ポスト紙を買収、というニュースに椅子から転げ落ちた。ポストの記者もI was floored.とツイッていたりしたので、誰にとっても青天の霹靂といったところだろう。

私は一瞬「アマゾンが?」と思ったのだが、これは間違いで、一説には250億ドルとも言われるベゾスの個人資産の中からワシントン・ポスト紙とその関連企業を2億5000万ドルで買い取ったという話。ってことは彼にとっては1%というハシタ金。1万円持ってたから100円使ったった、みたいな。

とりあえずこのニュースのバックグランドを説明しよう。どういう影響がありそうかも。

ワシントン・ポストは言わずと知れたNYタイムズ、LAタイムズと並び全米で影響力の大きい新聞で、本社が首都ワシントンというのもあって、特に政治関連記事に強く、創業135年という老舗。最近はネットで#WaPoで通じるぐらい。今まで獲得したピューリッツァー賞の数もダントツ。読者層はNYタイムズとかなりかぶる。首都ワシントンとその周りのバージニア州やメリーランド州に住んでいるインテリ層、リベラル寄りの人たち。オンライン版で全国に読者がいる。

アメリカでは新聞に限らず、書籍や雑誌の会社というのは株が非公開になっていて(ユダヤ系の)オーナー家族がいるところが多い。NYタイムズといえば、サルツバーガー・ファミリーだし、雑誌社のコンデ・ナストと言えばニューハウス・ファミリーだし。それは日本でも大手出版社は野間家だったり佐藤家だったりするし、その辺は同じ。ただ、某紙の某オーナーのように、マスコミのコンテンツや野球チームの監督の人選にまで口出ししてくるのは御法度で、どちらかというと守り神さま的存在。まぁアメリカにもルパート・マードックという「オレのもんなんだからオレの思う通りに書け」みたいな勘違い爺もいるわけだが、これは例外。ジューイッシュじゃないし、オーストラリアからきた珍獣扱い。

そのマードックもウォールストリート・ジャーナルというビジネス紙の至宝を掌中にしたはいいけど、彼は以前パーフェクトスカイTVを中国で展開しようとしていた時期に、傘下の書籍出版社ハーパーコリンズから出ていたヒラリー・クリントンの自伝から中国政府に対して批判的な部分を内緒で削除させたこともあるという、よろしくないタイプのオーナー。取材対象者の電話の盗聴がバレた英News of the World紙の経営に関わりすぎて側近が有罪判決受けるなど、痛い目に遭っているしね。今、中国妻との離婚訴訟でモメているのも何かの報いかとw。

一方、ワシントン・ポストは戦後(1940年代半ばってこと)あたりからグラハム(メイヤー)一家がずっとオーナー、つまりmastheadと呼ばれるスタッフ欄にpublisher発行人、という肩書きで君臨してきた。普段は表に出てこない。人事にもコンテンツにもクチを挟まない。例外的なケースとして70年代にニクソン大統領が再選のために違法に裏金をまわしてたのをすっぱ抜いた「ウォーターゲート事件」、覚えている人もいるだろう。カール・バーンスティンとボブ・ウッドワードという2人の若手記者をデスクのベテラン編集者ベン・ブラッドリーが支え、「ディープスロート」という言葉をアメリカのレキシコンに加え、ついには現役大統領を辞任に追い詰めた一連の記事。

この時ワシントン・ポストの発行人だったのは二代目オーナーのキャサリン・グラハム女史。後継者と目されていた夫が急死し、父の新聞を継ぐことになった経緯は講談社の故佐和子社長を思い出させるところがあるかも。彼女の自伝Personal History(邦題『わが人生』)はその辺の事情が詳しく書かれており、お薦めの1冊。

www.amazon.co.jp

もちろんウォーターゲート事件の記事が発表されていた頃は、ニクソン政権からワシントン・ポスト紙に相当の圧力がかけられ、司法長官だったジョン・ミッチェルが「そんなことを暴露したらケイティー(グラハム)のおっぱいがきりきり締め上げられることになるぞ」とバーンスティン記者を脅したというエピソードが有名。(買収発表に寄せたメッセージでベゾスが、「(おっぱいはないけど)体の部分を締め上げると脅されるのはイヤだけど、平気だよ」と言っているのは、そういう意味。)

ウォーターゲートにあった民主党選挙事務所に忍び込んだ盗聴犯への資金の流れに端を発し、大統領辞任に至るまで、下手なことを書いたら新聞が潰されるかもしれない…それでもグラハムは圧力に屈することなく、ブラッドリーを全面信頼してウォーターゲート事件の記事を発表し続けるのにゴーサインを出した。キャサリン・グラハム引退後は息子のドン・グラハムが引き継ぎ、かつてほどの影響力も購読者数もないにしろ、口出しをせずに見守ってきた。ドンはスタッフにも好かれているみたい。

そして現在の発行人はキャサリンの孫娘キャサリン・ウェイマス。ハーバードとスタンフォードで法律を勉強したアウトドア派のバリキャリ47歳。ちょうどNYタイムズでプロフィールを読んだところだったけれど、次期オーナーとして何かやらかしそうな感じ…と思ったらジェフ・ベゾスに売ったってことだね。

とりあえず発行人として彼女は残るし、ベゾスは特にスタッフを入れ替える予定もないと言っているので、ワシントン・ポストのコンテンツが変わるというわけではなさそう。でも、常識的に考えてアマゾンを一方的に攻撃するような記事は載せにくいだろう。

というのも、最近オバマ大統領がアマゾンの流通倉庫を訪問して、その際に国内の雇用を支える企業を支持するという主旨の演説をしたばかり。雇用を生み出すと言ってもアマゾンの流通倉庫の仕事は低賃金で、労組もなく、キツい仕事だというのは周知の事実。アマゾンのせいでどれだけの本屋が潰れて、低賃金雇用ばかりが増えたと思ってるの?と業界の人は怒りを顕わにしていた。リベラル寄りのワシントン・ポストもこのことについては厳しい見方。

でもジェフ・ベゾスがワシントン・ポストのオーナーとなったら首都ワシントンで行われる政治家のパーティーにもお声がかかり、それはそれでロビイストを雇うのと同じ効果があるだろう。ワシントン・ポストに好意的に取り上げてもらおうと議員もアマゾンにすり寄っていくだろう。

一方で、折しもEブック談合裁判で米司法省がアップルに勝訴し、これからiTunesストアにも刑罰を与えようとしている。アップルは元々ロビイストにあまりお金を使ってこなかったから、そのとばっちりを受けているとも言える。アマゾンはそれに比べるとなんと強かなことかと思うわけで。

だからワシントン・ポストがこれからもジェフ・ベゾスオーナーとは一線を画し、中立的な立場を守っていけるのかどうかは、これからの同紙の労組や、最低賃金や、中流階級の雇用などに関する記事で判断できるだろう。

ジェフ・ベゾスがアマゾンという企業としてワシントン・ポストを買収しなかったのにはいくつか理由がある。

まずひとつは、ワシントン・ポストの財政問題。ワシントン・ポスト社の資産内訳を眺めてもオンライン版の広告が増えていても、大部分を占める紙の広告は他の新聞と同じで、どんどん落ちている。スタッフ削減で退職金の支払いもバカにならず、赤字が累積しているのが実情だろう。これを買収してアマゾン傘下の企業とするには、株主に対し、この赤字をどうしていくのか、説明が求められる。大がかりなリストラ策を打ち出せば、社内の人間に嫌われるだけだし、いくらアマゾンでもAmazon.comのトップページにワシントン・ポストの割引き購読を宣伝するぐらいじゃ、黒字に転換したりできないだろう。新聞というメディアそのものが衰退しているのだから。

そしてもう一つは、メディア買収の際にFCC(連邦通信委員会)から求められる情報開示のプロセスだ。アメリカではマスコミ企業が買収される場合、クロスメディア・オーナーシップ法に違反してないか徹底調査される。要するにテレビもラジオも新聞も同じ会社です、ってのは許されない。アマゾンは今のところマスコミ企業ではないけれど、ビデオのストリーミングサービスや、Eブックビジネスなど「コンテンツ・プロバイダー」である点が今後違法となる可能性もないわけではない。

アメリカでもレーガン時代から続く規制緩和政策の一環としてFCCの規制を緩めろと言う声があるが、緩めるとマードック爺みたいなのがのさばるだけなので、そういう懸念もあってまだ揉めている状態だ。だからもしアマゾンがワシントン・ポストを買収するのであれば、今まで絶対に公開してないEブックの売上げなども細かく公示する必要がある。それはベゾスもいやだろう。だから個人としてのお買い上げ~となったと察する。

それとそろそろジェフ・ベゾスも五十路の声を聞く頃。自分の「レガシー」というものを考え始めたのもあるだろう。アマゾンのCEOとして「通販キング」「安売りの殿堂タコ入道」 「書籍ビジネスを破壊した男」として歴史に名を刻むより、やっぱりハーストやサルツバーガーと並び称される「メディア王」の方がいいだろうし。アメリカの歴史を振り返ってもFourth Estateの覇王として、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」とか、アイン・ランドの「アトラス・シュラグド」に出てくるゴールトとか、架空キャラもマスコミオーナーがいて、ベゾスもこれでいわゆる「名士」の仲間入り、ともとれるわけ。

ってなことを椅子に這い上がりながら考えてみた。どう思う?

written by

ニューヨークと東京を往復する文芸エージェント。 日本の著作品を欧米マーケットに売り込むべく孤軍奮闘中。
© Copyright - Books and the City - All rights reserved.