『電子書籍奮戦記』は萩野さんのメモワール—E-book book recounts the bumpy ride along the way


このブログではあまり書評は書かないんだけど、書評にもなってないからこんなもんか。自分が書いた本でさえ、もう「電子書籍」をどうのこうのと論じるのは食傷気味だなぁ、と思っていたところにレビューよろしく献本が届いた『電子書籍奮戦記』。著者はお世話になっているボイジャーの萩野さんだし、もし中身がフォーマットがどうの、ePubの時代がこうの、という話だったらどうしよう、と正直思った。

でもそれは無用の心配ってヤツだった。だってこれは萩野さんのメモワールなんだもの。

しかも、萩野さんがアメリカで出会う海千山千のメディア先駆者たちの何人かは私も会ったことがある。メディアラボの人たちとか。そう、みんな「え?会社勤めってなんですか?」みたいな自由人というか、まぁ、ぶっ飛んだ人たちなんである。堅苦しいサラリーマン風や、元うらなりの文学青年風みたいな人は皆無。

萩野さんが嫌いなはずのアメリカで育んだ友情のそのお相手、ボイジャーのボブ・スタインに至っては、アタシゃ、最初に会ったとき「なんじゃ、この海ぼうずのようなオッサンは?!」と心の中で叫んでいたともさ。そして頭の中を瞬間、流れていたBGMはミッドナイト・オイルのBeds are Burning。そう、なんだか手足の長いタコみたいなオッサンがテンパってる感じがしたから。(アスキーさんのページでこの2人が並んでいる写真を見つけた。なんか、似てきてないか?)

しかもみんな早口でしょ。自分のビジョンとか語らせるとエンドレスなマシンガンなわけ。通訳として同行しているアタシの身にもなってくれー!しかも、当時は「電子書籍」なんて海のものとも山のものともつかない、わけわからんちょの代物で、なんでレーザーディスクとエキスパンデッド・ブックが同系列で語られているのかわからなかったもんね。

映画好きが高じて電子書籍に顔(だけじゃなくて人生まで)を突っ込むことになった萩野さんのそのいきさつも理解できる。私だって、別にアメリカでEブックに関わっていたわけじゃないんだけど(だって、専門は文芸書、エンタメ系の本の翻訳権の売買という、地味ーな部署だったわけで)、いつのまにやら「アメリカのマーケットにおけるEブックのご意見番の恐い姐御」のようになっているし、人生、わからんもんだよねぇ、ってな。

でも萩野さんが「わかってるじゃん!」と思ったのは、最初から「本は小さいもののためのメディア」だと言っているところ。この先、いくら電子書籍が普及したとしても、本を書いた著者がいて、それを受け取る読者がいて、本によって点と点がつながれるのは同じなんだよね。テレビやインターネットのように、決して一気にマスとしてぐわーっとは広がらないと思う。だから、大衆相手に家電製品を作っているメーカーが、我も我もと電子書籍用のガジェット作りに力を入れているのを見ると、わかってねーなー、と感じるわけ。

同様に、電子書籍が発展していく過程には、まったく従来の出版とは関係のないフィールドの人たちが関わっていないとダメだってこと。映画でも音楽でもいい、アーティストの人が、プログラミングの知識を持って、それで「本」というものに取り組んで初めて、電子であることを活かしたモノができる。悪いけど、従来の活字の世界のドップリつかってきた編集者出身、しかも大手出版社の人だったりするのが一番マズイ。だって、「捨て身で好き勝手やれる」ってのがイノベーションの条件だもの。

ってなわけで、間もなく電子書籍元年とやらが終わるわけだけど、これがもしみーんなずっこけて、結局、一過性のブームで終わったとしても、ボイジャーはこれからも今まで通りがんばっていくだろうから、それでもいいかな、と無責任なことを考えたりしている。

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ニューヨークと東京を往復する文芸エージェント。 日本の著作品を欧米マーケットに売り込むべく孤軍奮闘中。
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