訥々と出版の理想を語るシフリンの言葉が突き刺さる—Pantheon alum Schiffrin talks of publisher’s mission


アンドレ・シフリンはいわゆる昔ながらの“出版人”だ。ジイドやカフカの担当編集者だったクルト・ヴォルフと交友のあった編集者を父に持ち、世界大戦中ナチスの手の及んだフランスから逃れてきたユダヤ系インテリゲンチャのご子息というわけだ。

そのシフリンがちょうど10年前に書いたBusiness of Booksという本は、当時のアメリカの出版社が次々とメディアコングロマリットの傘下に入ったことによって、新聞や雑誌と同じような利益率を求められ、ダメになっていったというのが論旨なのだが、『理想なき出版』というタイトルで日本語版が出て、これがなぜか全く違う理由によって出版不況に喘いでいた日本の出版業界の人たちの琴線に触れたのか、ずいぶんともてはやされていたものだ。「本が死んじゃう、滅んじゃう」と嘆くヨーロッパ版佐野眞一みたいな立ち位置なのか。

シフリンが父から引き継ぐことになった出版社、パンテオンはその昔1960年にランダムハウスに買収され、そのランダムハウスが80年代にコンデ・ナストの雑誌王、S・I・ニューハウスに更に買収され、ニューハウスの右腕だったアルベルト・ヴィターリがCEOになった時代に、なんでもかんでもP&L(損益)で決めるようになってしまい、出す意義のある本が出せなくなったことを嘆く内容の本なのだが、実はこの本が日本で出た頃は既にランダムハウスはニューハウスの手を離れ、更にドイツのメディアコングロマリットであるベルテルスマンの傘下に入り、悪役ヴィターリは社長の座を退いていたのだ。

ちなみにその頃、多くのインディペンデント系の書店を閉店に追い込むことになったバーンズ&ノーブルのメガストアの進出を大いに誇示していたのが、レン・レジオで、この2人のイタリア系ビジネスマンは、マフィアみたいな“ヒール”としてユダヤ人とワスプで占められるアメリカの出版業界で「あいつらイタ公」みたいな言われ方をしていたものである。

シフリンが出版界から引退し、日本でも彼の本が出た頃、私はまさにこのランダムハウスが日本の出版社と提携するプロジェクトに関わっていたのだが、日本の人は「ランダムハウス」と聞くと、このシフリンの本に出てくるよろしくない出版社を想像するのか、かなり黒船的な捉えられ方をされたので、ちょびっとだけこの本に個人的な恨みもあったことも確かだ。

実際にはベルテルスマンに抜擢されたCEO、ピーター・オルセンは元銀行マンだったこともあって色々誤解もされていたけど、根っから本好きな人だったし、本作りは損得勘定だけではないことをわかっていた人なんだけどね。

ぁ、それはさておき、文芸誌「n+1」のキース・ゲッセンにインタビューされる形式でシフリンの話を聞いたのだが、やはりそこはなるほどねと思わされる知識人の言葉が多々あったので、つらつらと書いてみる。(写真がボケボケですまん)

彼が編集者の息子としてパンテオンで働き出した60年代は、出版社と言えば編集者がそのまま経営者としてやっているところがほとんどで、フーコーやチョムスキーなどの著作を自由に出せたのがよかった、出版の使命とは「今までになかった“新しい考え”を世の中に伝えることだ」っていうのは納得できる。

今は、アメリカの大手出版社と言えば、実はどこもメディアコングロマリットの一部で、しかも海外資本のところがほとんど、っていうのは案外知られていないんじゃなかろうか? ビッグ5をリストアップしてみると、

1. ランダムハウス     (ドイツのベルテルスマン)

2. ペンギン        (イギリスのピアソン)

3. サイモン&シュスター  (アメリカのヴァイアコム)

4. ハーパーコリンズ    (アメリカのニューズ・コーポレーション)

5. グランド・セントラル  (フランスのラガディレ)

ってな感じ。英ピアソンは『ファイナンシャル・タイムズ』紙の親会社だし、サイモン&シュスターなんてグループにMTVが入っているし、ニューズ・コーポレーションなんてラスボスがルパート・マードックだからオーストラリアのコングロマリットという見方もできるし、元タイム・ワーナーだったグランドセントラルはフランスのラガディレというよりも、アシェットのグループと言った方がわかりやすいかもね。

シフリンの言い分というのは、出版社なんて、マジメにやって年間3〜4%の利益が出せる、つまり緩いインフレ率をカバーできるぐらいのマージンでしか元々儲からない商売だということ。これは私もそう思う。自分の言葉で言えば、本なんて、切り詰められるところは全部切り詰めて、コツコツと1冊ずつ一生懸命つくって、だいたいは売れ残って、たまにヒットがあって、そのうちに増刷がかかるバックリストができていって、そして極々たまーにベストセラーが出て、やっと全体がちょっと潤って、またその潤った黒字でコツコツ本を作るお商売だと信じている。

なのに、ヴィターリ社長が打ち出した方針は「黒字が出ると判断できる本だけを出す」というもの。そんなのは結局出してみないとわからないし、確実と思える本と言えば、トレンドを追ったような、過去の作品で結果を出しているような著者、ってことで、シフリンはこれをmarket censorship、表現の自由を保障するはずの資本主義社会において、自由競争市場原理が自らの首を絞める現象、と呼んでいた。民主主義とは色々なアイディアが生まれることで健全になるのに、と。(だからアメリカはブッシュ政権がプレスに圧力をかけ、反戦の声が失われ、イラク戦争に突入してしまった、とまで示唆していた。)

だから80年代のランダムハウスは、リベラルや進歩主義的な著作や斬新な作品がが、芸能人が書くメモワールや、ウヨク本に取って代わられてしまったと嘆く。シフリンはその後、90年にランダムハウスを離れ、ニュー・プレスという非営利の出版社を立ち上げるというわけ。これぞ資本主義の矛盾。

で、今回の新しい著作、Words and Moneyでは、2000年以降、さらに出版ビジネスに何が起こったのか、を視野を世界に広げて(といっても彼の場合、ヨーロッパを含めた、って話なんだけど)検証し、どうするべきなのかを語っている。

私が聞きたかったのはデジタル化、つまり電子書籍の登場によって、民主主義は是正されるのか否か、という点だったのだけれど、ここでもシフリンの主張は耳に痛いことが多かった。

彼が言うには、本屋が存在する意義とは「欲しいと思っていた本がそこにあるからではなく、今までその存在を知らなかったけど、読みたくなる本を見つけられる場所だから」というものだ。だから彼はデジタル化を憂えてもいる。ネットに載せれば、等しくどんな本も出せるようになったと言えるが、でもネットに載せてしまうことで誰にも気づかれない危険性がある、と。元々publishという言葉には「公にする」という意味があるのに、と。ネットのような「誤報の汚水溜め」に放出するのではなく、本という形にして世の中に出すのが出版社の使命だと、そしてそこには「民の信用」がなくてはならないのだ、とシフリンは言うのである。

あぁ、胸が痛い。

written by

ニューヨークと東京を往復する文芸エージェント。 日本の著作品を欧米マーケットに売り込むべく孤軍奮闘中。
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  • NetCat

    とても面白い記事でしたが、ちょっと私の知的レベルでは理解しづらい点が幾つか・・・。

    >ネットのような「誤報の汚水溜め」に放出するのではなく、本という形にして世の中に出すのが出版社の使命だと、
    >そしてそこには「民の信用」がなくてはならないのだ、とシフリンは言うのである。
    ここで言う「本という形にして世の中に出す」というのは「著作者の言葉を誰が言ったか解らないものとしてではなく、彼らを演台に立たせ、自分の顔と名前を晒させ、彼らの自負と意地を掛けて、考え、見地、検証等の様々な著作物をなかった事にできない形で公にさせる。」とう言う事なのでしょうか? 
    そしてもしそうであった場合、出版社の役割は著作者に注目を集めさせる、演台であり、権威付けをする後見人?
    そうであれば、「民の信用」というのは出版社の権威と公正さに対する信用なのでしょうか?
    「出版社の使命」は利益を追求する企業としての使命ではなく、人類の文化や思想、未来に強い影響力を持つ立場にいる人類の導き手としての使命でしょうか?

    しかしこの読み方だと、シフリンさんは皮肉を言っているようにしか聞こえないんですよね・・・。
    どこの出版社も価値のない情報をあたかも価値ある物のようにして売りつけて、自社の権威の失墜させることに血道をあげてますし、そうしないと経営が大抵成り立たない。また、出版社が使命とやらを全う出来た例もあまり有りません:大きな組織がお金と権力と暴力に抗うのは無理です・・・。 
    そもそも営利団体であるところの出版社にあんまり大きな使命を与えるのも問題があります。

    権威や信用や使命やらは、出版社の本を商品としてインターネット上の情報に対して差別化するのには役に立ちますが、張子の虎ではいずれ致命的な信用の失墜を招くことにしかなりません。 

    シフリンさんは今の混乱の後に自分の理想とするような出版を担う人々が現れると信じておられるんでしょうか?

  • NetCat

    とても面白い記事でしたが、ちょっと私の知的レベルでは理解しづらい点が幾つか・・・。

    >ネットのような「誤報の汚水溜め」に放出するのではなく、本という形にして世の中に出すのが出版社の使命だと、
    >そしてそこには「民の信用」がなくてはならないのだ、とシフリンは言うのである。
    ここで言う「本という形にして世の中に出す」というのは「著作者の言葉を誰が言ったか解らないものとしてではなく、彼らを演台に立たせ、自分の顔と名前を晒させ、彼らの自負と意地を掛けて、考え、見地、検証等の様々な著作物をなかった事にできない形で公にさせる。」とう言う事なのでしょうか? 
    そしてもしそうであった場合、出版社の役割は著作者に注目を集めさせる、演台であり、権威付けをする後見人?
    そうであれば、「民の信用」というのは出版社の権威と公正さに対する信用なのでしょうか?
    「出版社の使命」は利益を追求する企業としての使命ではなく、人類の文化や思想、未来に強い影響力を持つ立場にいる人類の導き手としての使命でしょうか?

    しかしこの読み方だと、シフリンさんは皮肉を言っているようにしか聞こえないんですよね・・・。
    どこの出版社も価値のない情報をあたかも価値ある物のようにして売りつけて、自社の権威の失墜させることに血道をあげてますし、そうしないと経営が大抵成り立たない。また、出版社が使命とやらを全う出来た例もあまり有りません:大きな組織がお金と権力と暴力に抗うのは無理です・・・。 
    そもそも営利団体であるところの出版社にあんまり大きな使命を与えるのも問題があります。

    権威や信用や使命やらは、出版社の本を商品としてインターネット上の情報に対して差別化するのには役に立ちますが、張子の虎ではいずれ致命的な信用の失墜を招くことにしかなりません。 

    シフリンさんは今の混乱の後に自分の理想とするような出版を担う人々が現れると信じておられるんでしょうか?

  • Anonymous

    NetCatさん、

    コメントありがとうございます。

    そこまで出版社に対する評価が低いなら、本など一切買わずに自分で納得のいくコンテンツをお探し下さい、としか言いようがないですな。

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