今日から始める、自分だけのサンデル先生の授業 ディベート101—Hunger for intelligent debate sparks Sandel’s popularity
早川の本を読んだり、NHKの「白熱教室」を観たり、来日したときの講義を見聞きしたりして、ちょっとでも「なんか、いいな、ああいうのって」と思った人へ。実はこんなにブームになるまでは、何がそこまで人気の秘密なのか、わからないでいた。アメリカの大学で授業を受けていたから、特にああいったスタイルが目新しいとは思わなかったのである。
それはそこ、ハーバードだから、いくらでも高給をはずんでトップクラス(生徒に人気があって、面白い)の先生を引っ張ってこれるわけだし、ハーバード入るぐらいだから、学生の方だってバカじゃない。そりゃ、授業も面白くて当然でしょ、みたいな気持ちがあったわけだ。
でも、これが面白いと思えるのなら、どういう教育システムがあって、こういう授業が生まれてくるのか、ちょっと説明してみる。っていうか、日本でオバマのスピーチを本にしたものがブームになっていた頃(ほら、またバブルだよ)に既にこんなことを書いている。
「私がこっちで学校に行っていた時、苦手なものにShow and Tellというのがあった。どんな科目でも、あるいは授業と直接関係ないような場でも、とにかく人前に出て、何か喋る、ということを強制的にやらされる。
それこそ小学低学年でも「何でもいいから順番にみんなの前でしゃべる」のがShow and Tellで、どうにもこうにも喋るネタがなくなって、うちにある金魚鉢を持ってきた子がいたぐらい。「僕が飼ってるお魚はー、○○という名前でー、いつも学校に行く前に僕が餌をやってます」などとくっちゃべる。ここがアメリカだなーと思うのは、聞いている方も素直に黙って聞いているわけではないことだ。すぐにみんなが次々と手を挙げて「なんで犬とか猫とか飼わないんですかー?」とか、「どうして魚が朝ゴハン欲しがっているか、わかるんですかぁ?」とか、鋭く突っ込まれて、答えられなくなっちゃったりして、一方的に喋ってハイ終わり、というわけにはいかない。あげくの果てには、棒読みで覚えてきた文章を喋っていたりすると「つまんないでーす」って言われて撃沈する。」
要するに小学校の頃からディベートの基礎が作られているってことだね。アメリカ人にとってパワポのプレゼンは国技と言えるかも。自分をアピールしてナンボ、の世界。先生からは「この世の中に、変な質問、というものはありません」と言われ、授業で発言しないと、どんなに成績優秀でも「クラスにcontribute(貢献)していない」と減点される。日本の学校みたいに教科書に出ていることをそのまま覚えて、テストに正解を書けばオッケー、というものではないから、Show and Tellを黙って見守っているだけのように見える教師にも負担が大きい教育法ではある。
生徒がリラックスしてしゃべることができるように雰囲気作りをし、積極的すぎる生徒を黙らせて、内気な生徒にも発言の機会を与え、話が逸れすぎないように、白熱して感情的な言い合いにならない程度に調節しながら、台本通りに進まないディスカッションであってもそこに筋道を与えた上で、大学教授の面目を果たせるようなまとめ方をする。
これが素晴らしく上手なのがサンデル教授ということになる。名前を付けたら「サンデル力」とでも言えるだろうか。哲学の知識だけじゃなく、機転が利かないとできない技。頭の回転、何rpmあるんですか、ってぐらいクルクルとまわってるんだろうなぁ。
今回のブームでわかったのは、日本の人たちだってこういう授業を、「知」のやりとりを渇望しているんだということだ。だってこんなに楽しそうなんだもの、センター試験のための暗記なんてやってらんないよな。
でも、何もかもがグローバル化して、国内の経済が低迷している今こそ、日本人は再び勇気を出して、ディベートしながら世界の人たちと向き合っていかなければならないだろう。そうじゃなくても、あんな授業、体験してみたいなという人のために、私が苦手だったshow and tellのコツなりを書いてみる。
私のコラムやツイッターでの発言が過激だとか、辛辣だとか言う人がいるけど、これは普通にアメリカ人とディベートしているメソッドと同じ。ケンカ売ってるように見えるけど、意外と本人は冷静だったりする。でもいきなりそれをやると、反感かったり、相手が逆上したりするから、まずはどんな場でも自分の意見を言ってみることをお薦めする。
「沈黙は金」っていう格言があるぐらい、日本人はお互い、カドの立たない「和」を尊んできた。これをまずひっくり返す必要がある。「聞き上手」になろうとするのはこの際やめる。銀座のママじゃないんだからさ。いーっつも飲み会の席でうるさい会社の先輩や上司がいるでしょ。もちろん黙って相づちを打ちながら聞き流すのは楽だけど、ちょっと口を挟んでみる。なるべく怒らせないように、今相手が言ったことが「ちょっと今の、よくわかんないんですけど、○○って、○○ってことですか?」と訊いてみる。対等なディベートであるには、まずお互いが何について言っているのか、その言葉が同じものを指していないと、話が噛み合わない。なんか違うなと思ったら、相手の矛盾をツンツンと突いてみる。理論立てて、わかりやすい身の回りの例を挙げて。
あるいはいっつもつまんない会社の会議で、わざと意見が分かれそうな議題をふってみる。「前から思ってたんですけど、○○って必要ですかね?」みたいに。後はなりきりサンデルで何か建設的な話し合いができるかどうか実験してみる。
以下、昔習ったディベートの基本。こういうの、けっこう学生向けの本も出ている。キンドルでdebateの本を探してみてもいいかも。
1)相手の話の「根っこ」を掴む
人の話ってブロックみたいに「理」が積み重ねられて「意見」という感情になっていると強いわけ。でも、つじつまの合わない、理不尽なことを言う人って、このブロックが途中で矛盾していることが多い。だから、一番下の、根っこになっているブロックが正しいのかをまず確認して、AだからB、BだからC、…で、そこに積まれるはずのないブロックを指摘する。
2)偉い人の話を出されても、ひるまない。
だって、その人が本当にそんなことを言ったのかは、本人にしかわからないし、「誰それさんが、そういったから」というのはそれが正しいことの証明にならない。例えその誰それさんが、アインシュタインでも、ガンジーでも、聖書に書いてあるからと言われても。
3)個人の人格攻撃はしない。
あくまでも、話は話であって、そこに個人的な感情を傷つけ合うような言葉が投げつけられたら、それはタダのケンカ。それをされたと思ったら、直ちにそれはヒドイ、と申告する。で、それはディベートのルール違反だから、話を本筋に返せないのならそこでディベートは終了。
4)相手の言い分が理解できる方が有利。
相手がどういう価値観の持ち主で、どういう思考回路でモノを言っているのかがわかるとやりやすい。このため、よくディベートでは、本来の自分の考え方と違う立場で発言するトレーニングをする。Devil’s advocateという言葉があるでしょ。自分が死刑反対なら、賛成派に立ってでもモノが言えるようにする。
5)議論の基礎は自分の教養・知識
これはいわゆるリベラル・アーツが目指す教育で、とにかく最終的には自分がディベートの根幹を成す知識の引き出しをどれだけ持っているかにかかっている。しかも、この引き出し、毎朝新聞を読むとか、何でもウィキで検索するぐらいじゃ簡単に身につかない。とにかく哲学、歴史、美術の古典に触れて、自分なりに頭使って消化しないとダメなんだよね。
んでもって、私はここにやっぱり英語のコミュニケーション能力を付け加えたい。サンデル先生が英語しゃべるから、ってわけじゃなくて、日本語以外の言語を学ぶと、言葉そのものについて違う見方ができるようになるから。んでやっぱり英語ってのはディベート向きの言葉だし。なぜかっていうと、敬語とか女言葉とか、話し手の立ち位置を決める言葉遣いがなくてニュートラルだから。主語・述語を明確にしないと文章が成り立たないから。とまぁ、いくつか理由はあるけれど。
そしてディベートの上級ワザはやっぱり、サンデル先生みたいにディベートを仕切る立場になること。これが上手にこなせる人は、周りに信頼されるし、リーダーになるし、これからの時代には必要な人材になっていくと思うんだけどなぁ。日本にもこういう人がどんどん出てくるといいよなぁ。アタシ、頭のいい男が好きだからなぁ。









