ツイッターのTLを読んでいたら「なんでアメリカのビジネス書って、関係なさそうな個人的な自慢話が満載なの?」みたいな質問が目に留まった。それに前後して、最近の新書は読みやすいんだけど中身がなくてスカスカ、という共感できるつぶやきもあった。売れているのは結局、名前の知られた著者が短時間でテープに吹き込んだものをサクサクッと編集者が起こしたような本ばかり。
実は、この2つの事象、根っこのところでは同じ問題のような気がしている。
まず、アメリカのビジネス書、特に勢いのある/あった企業の社長が書くような、回想録に近いノンフィクションの本を見てみよう。私の記憶にあるところでは、80年代半ばに、ライバル社のクライスラーに鞍替えしてみごとに再生させたフォード社長、リー・アイアコッカの自伝がバカ売れしたのがブームの始まりだろうか。日本でも名前が知られているような社長はみんな書いているし、カルロス・ゴーンのような日本限定の有名社長も出している。
日本の社長さんが書く本は、経営理念や自分の会社でのエピソードに終始するんだろうけれど、ビジネス書とはいえ、アメリカ人が書くのはカテゴリーとしてはメモワール、つまり個人的なエピソードもがんがん入れてしまう回想録。要するに読者が知りたいのは、成功する社長になれた人の人柄がどうやって形成されたのか、という部分にも及ぶから、という理屈なのだ。
アメリカ特有の出版事情も多少ある。こっちの本は、企画書の段階で分厚い契約書が交わされ、〆切りも厳しければ、ページ数も事前にばっちり指定される。これはシーズンごとにカタログを作り、それを元に前注文をとるので、刊行予定日の何ヶ月も前からページ数が盛り込まれるという事情があるからだ。いざ、書き上げてみたらちょっと薄くなっちゃいました、なんて言っていたら契約違反で訴えられかねない。分量にしてもビジネス書だったら最低限でも5万ワード、ばっちり300ページは欲しいと言われるはずだ。そこには薄く、読みやすい、という概念はない。
しかも、アメリカのエグゼクティブなら、仕事一筋の会社人間であってはならず、家族との時間も大切にし、趣味・関心も多岐にわたり、プライベートが充実しているのが理想とされるから、それを示すエピソードも盛り込まないといけないわけだ。前述のtwitterのつぶやきにもあった通り、(読者にとって余計としか思えないような)「奥さんの趣味であるクラリネット」にもページを割かないわけにはいかない。
こうやって個人の功績とプライベートの素顔を組み合わせて「セレブ」となる。
だからこそ、有名人になると、プライベートの部分をあれこれ詮索されることにもなる。タイガー・ウッズだって、問題にされるのはゴルフスコアだけでなく、愛人が何人いるのかという話がマスコミを賑わすということだ。
アメリカの教育制度や家庭でのしつけは、こういった有名人を生み出しやすい体制になっていると言えるだろう。日本式にクラスのみんながどの教科でも高い平均点を出すことを目指すのではなく、特定の才能がある者がいたら、それを伸ばしてやる。天才児がいれば年齢制限なく大学に入れるし、まんべんなく満点をとることを目指すのではなくて、 特定の教科で抜きんだ成績を出せば、 飛び級ができる。
こうすることによってアメリカはノーベル賞をとる人も多く出してきたし、天才的なスポーツ選手も生み出してきたし、トップレベルのミュージシャンもアーチストも輩出される。その才能が会社経営であれば、若くして莫大な給料を手にすることができる。年功序列に関係ないこの流動性がいわゆる「アメリカンドリーム」の下敷になっているのだ。
だが、どんな良薬にも副作用があるように、この制度にはマイナス点があって、それが私を辟易させる。何か才能があって、それを伸ばせる人はいい。問題は、才能のない者がどうなるか、だ。「誰にだって何かしら得意なものがある」なんていうのは、ただのお為ごかしであって、ぶっちゃけ言ってしまえば、世の中なんて一握りの天才の他は、特に大した才能のない人が大部分なのである。日本の教育制度や社会では、まだそういう人に対しても「努力」という美徳があるからまだ救われる。
私がアメリカで暮らしていてウンザリするのは、才能のない人でもなんの努力もせずに「有名になりたい」という欲望を包み隠さず、オレがオレがと自己主張してくることだ。
例えば、大人気の「アメリカン・アイドル」という番組。確かに最終選考に残るのは、プロも顔負けの声量を持ち、超人的な声域で、既にカリスマ性も備えたような「天才たち」かもしれない。この番組では毎シーズンその予選の様子も放映されるのだが、その様子があまりに滑稽で笑うに笑えない。(Photo by: Leigh Caldwell)
何しろ地方の小さな町でオーディションがあると、この地域のどこにそんなに歌のうまい人が住んでいるのか、と思うぐらい、われこそはと名乗りを上げてくるのである。みんな怖いくらい「次のアメリカン・アイドルはぜったい私!」と思いつめているのだが、中にはどう贔屓目に考えたってあなたは音痴でしょう、という人が混じっている。自分の歌声を聴いたことがないのか? 周りの友人は誰も「恥をかくだけだからヤメときなよ」と言ってくれないのか? 親は何をしているんだ? もしかしてそのヒドイ歌を聞きながら「さすがは私の子ね。上手よ。才能あるわ」と親バカ全開で育ててきたのか? それでもって、そういう子に限って、あなたにはムリだからと審査員に諭されても、メゲずに噛みついていたりする。(写真はフロリダでのオーディションに集まってきた玉石混交の人たち)
この妄想はどこから来るんだろう?
一方で、特になんの才能がなくてもセレブとして有名になり、マスコミでちやほやされているパリス・ヒルトンとか、キム・カーダシアンといった不思議な人たちも存在するのがいけないのだろう。なにしろ、この人達の職業は、チャラチャラとマスコミに登場することだけなのだから。日本で一番近い存在は叶姉妹あたりだろうか。
とりあえず、何か目立つことをやらかせば有名人、そしていったん有名人になっちまえばこっちのものという構図が、人々を愚行に走らせる。記憶に新しいところでは、気球に乗って息子が飛んでっちゃったァと騒いで一世を風靡?したリチャード・ヒーニーだろう。彼の妻がマユミという日本人だったのが印象的だった。というのも、とりあえず、アメリカ人から見れば、ヒーニーみたいな口先男はとても異性として尊敬できる器でないことがわかるだろうに、英語がわからなくて、彼がくっちゃべる自慢話にホレちゃったのか、このマユミさん、「主人が言っていることだけど、私たちの祖先は宇宙人だったのよ!」とインタビューに答える様子が、変な宗教に洗脳されちゃった信者のようで、怖かった。
中身がないのに、有名になりたくて大ボラをかます。自分の非を認めず、謝らない。コツコツと地道に努力する人がバカをみる。それがアメリカ社会だ。
日本の新書が軽く、スカスカになっているのも、このセレブ病が徐々に進行しつつあるからだろう。つまり、緻密なリサーチと、独創的な研究によって書かれたノンフィクションではなく、テレビに出ているあの人が、わかりやすい話し言葉で書いたような本が売れてしまう。要するに、情報の質という中身で勝負しているのではなく、誰が発言しているかが重要ってこと。
勝間和代の本なんて、最近はどれを読んでも言っていることは同じだろうに、毎度毎度ベストセラー。茂木健一郎なんて本を書きすぎて税金払うのも忘れるような人なのに、相変わらずの発言力。じゃあ、何でもかんでも音読さえすればいいのかい?ってところまできちゃった齋藤孝。江原啓之に至っては、本を買うことが信者のお布施替わりで、読者側の思考が止まっているのは明らか。
これをhero worship英雄崇拝と呼ぶ。Cult of personalityというのは元々、政治家が自分を英雄にまつりたてて群衆を操るに至る力を持つという意味だが、最近では政治家に限定されずに使ったりもする。
対処法としては、有名人に有名だからってヘイコラせず、そんなに偉いのか、テメェ、とまず、検証するところから始めるのがいいかもしれない。
爽快な文章ですね。
>コツコツと地道に努力する人がバカをみる。
微妙に反論があるとすれば、一発屋ではないこつこつ努力する人の方が、相対的にはアメリカでも地位を獲得するに至っていると、私は個人的には思います。別に統計なぞありませんが。
しかしKK氏を筆頭に、上記の方々のベストセラーを支えている読者の方々は、本を買う=その人に近づける、という妄想があるように見えますね。
思いますが、どんな経験豊富で立派な人でも、一冊書けば大体その人の殆どが集約されてしまうものじゃないでしょうか。京セラ稲盛氏は尊敬する人格者ですが、やはり彼ですら私は一冊で十分だと思いました。そこから読み取れる事、学ばなければ行けない事は一年やそこらで出来る事じゃない。要はその一冊からどれだけ自分で発展させられるか、な訳で、それと比べれば連発されるKK氏の本からそんなに学び取れる事はありませんでした。
こんにちは、いつもツイッター面白いと思っていたのですが、HP初めて来ました。もっと面白いですね。
ここ何年か確かに内容がほぼ同じな薄い本が毎月出る著者が日本で増えていますね。
また同じ本の幾種類もの翻訳バージョンが同時に出たり。読者をなめてるのかな?と思うことがよくありますが、まあ比較検討して買ったり、簡単な本は立読みできちゃうからいいのか、とか思います。
だいたいそういう本が出ているのは同じような出版社ですし、自分で自分の首を絞めているのではないかとも思います。
とはいえ、私も気に入ると同じ著者の本を全て読みたいと思ってしまう人間の一人で、つけ入る隙を与えているなあとあらためて自覚です。
簡単な本そのものは、本読むのが好きじゃない人も、これなら読めると読む場合があるし、私も難しい分野はそういう本で済ますので、いいかなと思います。
書き忘れましたが、妙に厚い自伝の裏話興味深かったです。