NYタイムズに載っていたコラムが身につまされて訳してみた—For your reading pleasure (or pain)


マンハッタンは古くから出版を志す若者が集まる場所だ。いざ働き出せば、冷たく上司にあしらわれながら下っ端として雑用をこなさなければならない。文句一つ言わずに耐えれば、やがていつか本や雑誌や新聞を生み出す人間の一人になれると信じて。

E・B・ホワイトの言葉を借りるなら、この雑踏の中で自分の場所を見つけるには、幸運を射止める意志さえあればいいのだ。一度そのパスを掌中にしてしまえば、出世街道を駆け抜け、今度は入門者を選別する立場になる、と。

日ごろメディアのニュースを見聞きしている者なら誰しも、もうそんな時代は去り、不可能に近いことを知っているだろう。かつての甘い幻想も大きな景気のうねりによって影も形もなく消え去り、これまでの出版のビジネスモデルはすっかり変わってしまった。

ホリデーシーズンに一番人気となりそうな本は値引き合戦によって、オンラインサイトや書店の客引きのエサになってしまった。新聞はまだクリスマスの広告にしがみついているが、肝心の広告主である店側も統合に継ぐ統合であてにできない。クリスマスパーティーの気分を盛り上げる役まわりの雑誌も数年前と比べると半分近くにまで縮小してしまったところも少なくない。

timesbuildingページ数も、消費も、利益も冷え込み、ホリデーシーズン一番のニュースはコンデ・ナスト、タイム、AP通信、そしてわがNYタイムズにおけるレイオフや身売りの話ばかり。(Photo by: jphilipg)

(しかもマンハッタン限定ではない。どこでも事情は同じで、最近もワシントン・ポストが残っていた国内の支局をすべて引き上げた。先週インタビューに応じたエグゼクティブ・エディターのハワード・クルツは「我々は既に一般市民に仕える全国紙ではない」と明言した。わお。)

これまでの出版業界に斜陽の時代が訪れたと感じざるを得ない。11月初頭にNY会計監査局の発表では2000年頃のピークからマスコミ関連の職が6万人分なくなったと発表した。

私がNYに来たのはInside.comというデジタル・ニュースサイトに参加するためで、まさに新しいメディアとなるはずだった。従来のマスコミが新しい現実と向き合い、次々に出現するテクノロジーで儲けようとする様子を報道していた。

当時の仲間の誰も、次の10年の間に大手マスコミがここまでダメになるとは想像していなかった。それまで広告主として紙媒体に大金を落としていたITバブルがはじけ、その後デジタルメディアは復興したものの、従来のメディアを食い物にするだけだった。2000年以降、従来のマスコミ産業従事者は年間2.5%の割合で減り続け、2008年を境にさらにぐっと落ち込んだ。(質のいいビジネスニュースに課金しようとしたInside.comも時期尚早だったのか、たった18ヶ月でつぶれた。)

後に残されたのは、バラバラのおもちゃで、それはまるで四角い車輪のついた模型の電車や、空中を泳ぐサカナ鳥みたいなものだった。デジタル化されたコンテンツが倍増したあとは、かつて1ワードあたり4ドルももらえた文筆業も値崩れした。

この情報の渦はどこから来るのだろう。四方八方から、しかも安く。デマンド・メディアというサイトでは、見出しで読者を釣ろうと何千もの記事を揃えているが、原稿料は1本20ドルが相場だという。

ウェブ・クローラーが値の張るコンテンツを次々引っ張ってきては複製している。細切れの情報をアルゴリズムで処理して記事にする、つまりライターが要らなくなる研究も進んでいるとか。とても読めたものができるとは思わないが、昨今のウェブではなんとか読めれば充分なのだろう。

マンハッタンのマスコミ界で働く我々にしてみれば、ひとときの贅沢と特権の代わりに、お仕着せの平たいケーキと安物のワインが出される場で、お別れのスピーチを定期的に聞かされる時代になったということだ。栄枯盛衰、マスコミの特権階級なんて、無駄と贅沢がまかり通る広告産業という天空の城に仕える下僕だったのだ。それをグーグルが変えた。

ニッチな読者層がもっと一般的な情報を欲しがる時のために、名の通ったいくつかのブランドは生き残り、栄えもするだろう。この新聞(NYタイムズ)に転職したときからの贔屓目かもしれないが、ここも生き残り組の一つになるだろうが、淘汰が進んでいるのは否めない。

我々マスコミ産業をカバーする者は、やがて世界の終わりが来るとずっと聞かされてきたが、長いこと何も起こらなかった。ところが、急に天空にひびが入り、グルメ誌のような老舗雑誌までが突然廃刊になった。あのグルメが? でも2001年9月のあの日、この島にいた者は、マンハッタンの象徴が崩れ、ぽっかりと穴が空くのを実際に経験したのだった。

代わりに何が残るのか。崩れ去るものの悲惨さを無視できるのならば未来も悪いものではなかろう。若者はこれからもここに集うだろう。ただ、これからはコンデ・ナストの人事部には世話にならないだけの話だ。

私が出会う若者には、既にもう閉じてしまったマスコミ業界への扉を叩いて回るのもいれば、新しいアイディアと、情熱と、テクノロジーへの理解を持つのもいる。扉を叩くだけでなく、その扉ごと叩き壊さんばかりの勢いで。

フラットアイアン地区や、ブルックリン、クイーンズやハーレムで、若者たちがこの渾沌を見守っている。彼らが手にしたパソコンやiPhoneはそのまま天空を自在に駆け巡り、20年前、ニュース編集部でかき集められる情報量より多くの情報力を手にしている。

ソーシャルメディアを使ってコンテンツを絞り出したり、情報に付加価値をつけようとしている。今風の醒めた若者たちだが、そこから来る自信は彼らの世代の特権でもある。

そんな彼らにとって、マンハッタンは沈みゆく島ではなく、怒濤のような波間からそれでも頭をもたげている場所なのだ。

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昨日のNYタイムズに載っていたMEDIA EQUATIONのコラム。原文はここ。とりあえず、直訳ではありませんので、あしからず。記事転載してるわけじゃないから、フェアユースってことでよろしく。思わず身につまされたってことは、私も既に旧世代の人間なのかな。

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ニューヨークと東京を往復する文芸エージェント。 日本の著作品を欧米マーケットに売り込むべく孤軍奮闘中。
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