繊細すぎて読んでると心が痛いメアリー・ゲイツキルのセックスとか、ネコとか—Mary Gaitskill shows her unexpectedly insensitive side at Granta reading
メアリー・ゲイツキルって読む人によってハッキリ好き嫌いの分かれる作家だと思う。大胆な性描写とか、登場人物の行動と思考の乖離とか、絶望的な孤独感とか、超人的な繊細さと洞察の深さが文章ににじみ出ているので、読みながら、あぁ、私は適当に鈍感な人間で楽だなぁ、とホッとしてしまう。
だってね、『グランタ』最新号に寄稿している短編『LOST CAT』なんて、愛猫がいなくなっちゃった喪失感のお話だっていうんですよ。実は怖くてまだ読んでないのだ。身につまされるだろう事がわかっているから。こっちのギョーカイでもネコ好きの負け犬系が多いわけですが、いま密かにそういう人たちの間で、これを何ページまで泣かずに読めるか、って比べあうのが流行っているらしいです。ホントかよ。
どのぐらい日本語訳が出ているのかなとアマゾってみたら、デビュー作である短編集『BAD BEHAVIOR(悪いこと)』と第2作『TWO GIRLS, FAT AND THIN(太った女、やせた女)』が角川から出ているだけで既に絶版状態ってことは、あまり日本じゃ売れなかったんだろうなぁ。(ちなみに『悪いこと』に収められた『セクレタリー』という短編がマギー・ギレンホール主演で映画化されましたが、原作はあんなカワイイお話じゃありません。)
でも05年のVERONICAなんて全米図書賞とるだろう、って言われてたし、最近『ニューヨーカー』誌や『グランタ』誌に掲載されている短いものを読んでも、やっぱり巧いよなぁ、と思う書き手なんですが。女の視点からセックスについて頭で考えてる、ってのがダメなのかなぁ?
そのゲイツキルが『グランタ』のイベントで朗読会をやるというので、もちろん参加。ゲイツキル大好き!と言っていたグランタ編集長のジョン・フリーマン君はまだロンドンにいるので、パトリック・ライアンという編集者が代役(写真右)。これが仇になったというか、おかげで想像していたゲイツキル像とはだいぶ違う素顔が見られたのかもしれない。
というのは、文章ではあんなにピリピリした知性を感じさせるゲイツキルなのに、ライアンさんが用意してきた質問が全く琴線に響かないのか、長々と質問されてその答えが「別に」とか「違うわね」と一言だけでそっけなかったり、「質問もう1回言って」と実に反応が鈍かったのだ。
でも「セックスについて書く」ことに話題が及んだ時はさすがに饒舌になっていた。ライアンさんの質問は「すごいと言われる作家に限って、セックス描写となると滑稽なセックス、酷いセックスが多かったりするが(例えばアップダイク?)、純文学ではマジメに『気持ちのいいセックス』を描くことは陳腐なのか?」というような内容だったんだけど、それについてはゲイツキルは「あら、そうかしら、かなりいい線いってると思う書き手もけるけど? そういえばパムクの『SNOW』中のセックス描写なんて良かったわよ」と受け流し、でも「結局、セックスって深淵なものだし、これこそがいいセックスなんだ、ってのは誰にもわからないんだと思う。描写だけでは陳腐なセックスでも、当人同士にとってはいいのかもしれないし。私も初期の作品ではかなり、セックスによって何が起こるのか理解しようとしてかなり赤裸々な描写もしたけど、快感によってどういう感情が生まれるか、それがどこまで表現できるかってことよね」と言っておりました。









