海外で認められてやっと国内で認知された辰巳ヨシヒロの劇画人生—Graphic novelist Yoshihiro Tatsumi’s Day of Reckoning and Recognization at PEN’s World Voices event
毎年日本がゴールデンウィークを迎える頃、ニューヨークではペン協会による『世界の声』という楽しいイベントが開催されるようになって今年で5年目。ロンドン・ブックフェアと重なって参加できない年もあったが、今年も早々にスケジュールをチェックしたところ、日本からの参加者はたった1人。40カ国から160人が集まると謳っているイベントだけに、寂しい限りだ。(その後の豚インフルエンザの影響でどのぐらいの作家がキャンセルをしたかは不明。)
その一人とは、劇画作家の辰巳ヨシヒロ氏。何とも渋いチョイス。私も日本にいる頃は知らなかったけど、こっちではカナダのDrawn and Quarterlyという出版社から丁寧に刊行されている。「グラフィック・ノベル」といえば、欧米ではコミックと違って、大人向けの暗いあらすじと下手ウマな絵が特徴的なジャンルで、辰巳さんの作品はアメリカのグラフィック・ノベリストたちにいたく感銘を与えるらしく、日系若手のエイドリアン・トミネがかなり彼の作品に傾倒して、こっちでの刊行を支えてきたようだ。海外で認められたことをきっかけに、日本でも手塚治虫賞をもらったと本人も言っているが、こんな風に自国文化の何が海外で求められているのかをわかっていない部分が日本にはある。
今回のパネルでは、聞き手がPUSH MANというタイトルになった30年ほど前の作品から何ページかを紹介しながらインタビューをしていたのだが、本人も「昔の作品だし、ネームが英語になっているので、今自分で見てもどういう話だったか覚えていない」なんていっていたけれど、要するに、大学に行く夢を見る青年が、ラッシュ時に客を車両に押し込む仕事をしているという、いわば、社会の底辺に位置する労働者を丹念に描いた作品。それはまるで世間の波に圧されて誰もが大学入試を目指した学歴社会の始まりを風刺しているのではないかとの司会者の発言に納得することしきり。
辰巳ヨシヒロは典型的な団塊世代といえようか、彼の作品が敗戦後の高度経済成長期を描いている点に言及して、「戦後の焼け野原で、日本人はようやく日本人として生きる出発点を得られた」というようなことを言っていた。このPUSH MANの最後の一コマは、駅で働く青年が誤って乗客と一緒に電車に揺られているシーンで終わっているのだが、これは、会社で働くサラリーマンに憧れた青年が、その夢を実現させたとしても幸せかどうかはわからないという暗示となっている。彼の作品の特徴として、起承転結のクライマックス的なエンディングがないことも指摘されていた。「最後の一コマに命をかけないと作品が生きてこないので苦労した」と淡々と語る辰巳氏に聴衆のアメリカ人も感じるものがあったに違いない。
会場には『劇画漂流』の英語版である分厚いDRIFTING LIFEを抱えたファンが集まり、丁寧に1冊1冊サインをしていく辰巳氏を見守っていたのも印象深い。
【お知らせ】
ニューヨークでこのコラムをたった今読んだばかりの人へ:5月2日(土)4:30pm辰巳さんがエイドリアン・トミネと対談をします。彼のサインはもらう価値あり!









