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グーグル・プリントの潮流は怒濤の如く版元を飲み込んでしまうのだろうか?—Publishers must soon decide their fate on Google Print settlement

以前まがりなりにも日米英の大手出版社の経営トップというか、企業の中枢の一端を垣間見る幸運な機会があった時に痛感させられたことがある。

少なくともアメリカとイギリスでは、なにか出版の未来そのものを左右するような変化が業界に起こりつつある時は、なるべく早期にそれを察知・対応し、企業としての方針を整え、素早く順応していく。その際の決断は、次のような不文律の大原則に基づいている。

1)それは著者にとって良いことか?
2)それは読者にとって良いことか?

この2つの質問に対する答えがyesであるならば、迷うことなくその変化を受け入れる準備をする。そしてそこから少しでも企業として利益を得られるようにシステムなり、組織なりを変えていくのだ。ときとして強硬に。もちろん、これは業界1、2位の規模の会社だからできるのであって、中小・零細出版社はその荒波に翻弄され、淘汰の憂き目を見るか、あるいは大企業よりも率先して全く新しく生まれ変わることで生き延びていくのだろう。

あくまでも「それは出版社の儲けになることか?」を基準にして、答えがnoであるからといってその動きを封じ込めようとすることは決してないといっていい。

私が見てきた「出版の未来そのものを左右するような大きな変化」というのは、例えばこんなことだ。

1)書店チェーンのスーパーストア化
バーンズ&ノーブルとボーダーズのメガストア店舗が急激に増えて、インディペンデント書店の存在が危ぶまれたとき(90年代に入ってから)

2)オンライン書店の台頭
アマゾン・コムが台頭してきて、オンライン書店の売上げが急激に増加したとき(90年代半ばから)

3)再販売価格維持制度の崩壊
(イギリスのみ)一部の大手書店や出版社が値引きを始め、1997年に法的にも再販制度が廃止になったとき

いずれの時にも、成長しようとするチェーン店やオンライン書店を阻止しようとしたり、法的に訴えて動きを停止させたり、理由なしに遅らせようとする動きは見られなかった。

オーディオブックや、データのデジタル化にしても同様。なるべく多くの人に自分の本のことを知ってもらって、1冊でも多く売りたい著者と、なるべく本を安く、便利な方法で手に入れたい読者の邪魔になるなんてとんでもない、それでは本末転倒というもの。デジタル化や媒体の変化といった進歩を、企業の不利益と言う理由でもって押さえつけるのは困難であり、正当ではない。

で、今度はグーグル・プリントの出現である。現存の書籍のデジタル化というこの大きなうねりには、日本の出版社が一丸となってももはや阻止することはできないだろう。

アメリカの書籍出版業界では少なくとも4〜5年前からグーグルが手がけているこのプロジェクトが自分たちに今後どういう影響を与えるかに注目し、裁判所での徹底抗戦も覚悟して、自分たちの立場を訴えてきた。いきなり長文の合意書が送られてきてアタフタ、というわけではなかったのだ。ライバル同士の大企業でもトップは常にコミュニケーションを図り、足並みを揃えてきた。グーグルもこれを知っていたからこそ、強引に最後まで裁判で争いことはせずに合意したのだし、出版社側が納得できるぐらいの補償金をだすことになった。(Photo by: Yodel Anecdotal)

この裁判で問題の焦点となっていたことの一つは「フェアユース」の範囲について。グーグルが図書館の蔵書をスキャンすること自体については、そこに出入りする一般利用客がコピーを取るのと何ら変わらない行為、と裁判所が判断しても不思議ではない。これはグーグルがグーグル・アースを始めようとした時にも議論になったプライバシーの問題と平行しているように思う。つまり、個人として例えば自宅の表札までがネットで見られることをプライバシーの侵害ととらえ、反対する意見もあったようだが、誰でもその場所に行きさえすれば見られるものが見られるだけに過ぎず、そこに行ける人なら良くて、行けない人が見られないというのは「フェアではない」とする考え方だ。

グーグルがそうしたい多くの一般消費者の代わりに図書館の本をスキャンすることは、誰にとって「フェア」ではないのか。どの団体がグーグルを法的措置に訴えたとしても、最終的に裁判所は一般読者と著者(つまりは一般市民)の権利侵害に当たらなければ、フェアである、という判断を下すだろう。それがどんなに企業利益に損害を与えたとしても。

日本では、書籍の副次的権利はすべて著者にあり、出版社はその一部(つまり、日本国内で日本語で本として流通させるだけの権利)を委託してもらっている、という取り決めになっている。というか、著者と出版社の間でそれ以外の取り決めがなされていない。だから、著者の権利は乱用されることなく守られている、とも言えるが、いかんせん、副次的な著作権利について取り決めなど考えたことがないというのは、知識を得る機会がない、つまりは疎いので、グーグル・プリントのような動きがあっても個人的には対応できないだろう、と推察する。多くの著者は自分が書いた本の副次権利の価値について考えたこともないのかもしれない。だとすれば、もったいない話だ。

英米では、そこに文芸エージェントが介在していて、著者をクライアントとして抱えた時点で印税からコミッションを取る代わりに「常に著者の利益になるために動く」という協定が結ばれている。文芸の目利き、という出版プロデューサー的な役割の他に著者の弁護士という立場でもある。文芸エージェントの中には弁護士の資格を持っている人も多いし、著者に著作権意識を持たせるのもエージェントの役目だ。日本では、売れっ子作家であれば、事務所という形でマネージメントをするが、そうでなければ出版社がこれを引き受ける。欧米でもそれは同じで、最初の本が出る時点であらかじめ副次権利についても出版社がそれを買い上げていれば、出版社が責任を持ってその副次権利を売買し、著者にすべてを知らせ、印税を払うしくみになっている。

今、日本の出版社が取り組まなければならないことはいくつかあるだろう。

1)自社から刊行された出版物について副次的な権利は誰が(著者なのか、出版社なのか)管理しているのか、を明確にする。(著者から副次権利を預けて下さいというからにはそれを有効に売買できるキャパシティーを見せることが望ましい)

2)海外から副次権利の使用許可の依頼が来た際に迅速・確実に対処できる体制を整える。(各編集部に分散させず、ライツ担当部署を持つことが望ましい)

3)日本語の本なんだから日本国内で売っていればいいという、鎖国的な考え方はもはや通じないことを念頭に本作りをする。

今さら絶版扱いされている書籍がネットで読めることに脅威を感じるとしたら、それは海外にも、在住の日本人や、日本文学研究の資料のために必要としている学者だけでなく、日本語の書籍を読めるだけの読者が確実に増えていることを無視してきた結果かもしれない。

在庫なし再販予定なしという言葉に甘えて本を事実上絶版にしたまま放置してきたことのしっぺ返しかもしれない。

日本の著者も、あちこちの編集者に言われるままに複数の出版社から著作がある場合など、各出版社の対応が食い違い、混乱させられていることだろう。欧米では担当のエージェントが1人、出版社が1社、馴染みの編集者も1人、という場合がほとんどなので、この心配はないのだが。

自分の作品のプロデュースを共同作業にする、ということはリスクを分散させることでもあるが、最終責任がどこにあるのかわからないというデメリットがある。今回のグーグル・プリントに対する対応も、力のある大手出版社が意見をまとめて抗議できれば、集団訴訟にとりこまれない道も見いだせるかもしれないが、現状を見ているとムリ、という気がする。

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    出版バブルの話を読んで考えてみたんだが、こっちには「対談本」ってないんだよなー。ま、探せばあるんだろうけど、売れ筋の本で思いつかない。やっぱ、それじゃ手軽すぎるんだよ。対談はテレビやラジオでサラッと流せば済むものなんだから。 4 days ago

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