スピーチが下手で世界の檜舞台で損をしているのが日本人—Public Speaking 101: Practice, Practice, Practice!
去年の暮れ頃から日本でもオバマ大統領の演説を収めた本が次々に出て、どれもそこそこ売れていたようだけど、日本人はスピーチ、いわゆるパブリック・スピーキングが下手だ、というのは今さら私が言わなくてもよく言われていることだろう。実際、世界中から色々な人が集まって、お互いの主張をしあい、より声高に自分を主張した者の方の勝ち!みたいな横暴なルールがまかり通ったりする、このニューヨークという競争の激しい街に住んでいると、いかにこのことで日本人が損をしているかを思い知らされる機会が多い。
本の中には、スピーチがすぐに上達する、などと銘打ったタイトルもあるようだが、これはウソだね。っていうか、普段は口べたであまり喋らない(よくいえば寡黙な)人が、本1冊でペラペラとスピーチ上手になるわけないっつの。どんなに英語を勉強したとしてもそれは同じ。あんなものいくら聞いても(それだけでは)オバマのように喋れるようにはなれませんって。
でもアメリカ人だって、産まれた時からそんな才能があるわけではない。小さい頃から訓練させられて身に付くのだ。できなきゃバカ扱いされるからやるのだ。日本人同士のように同じ民族で、同じような環境で育ったなら、阿吽の呼吸で通じるものもあるかもしれないが、アメリカはそれぞれのバックグラウンドが違うからそれができない。
私がこっちで学校に行っていた時、苦手なものにShow and Tellというのがあった。どんな科目でも、あるいは授業と直接関係ないような場でも、とにかく人前に出て、何か喋る、ということを強制的にやらされる。
それこそ小学低学年でも「何でもいいから順番にみんなの前でしゃべる」のがShow and Tellで、どうにもこうにも喋るネタがなくなって、うちにある金魚鉢を持ってきた子がいたぐらい。「僕が飼ってるお魚はー、○○という名前でー、いつも学校に行く前に僕が餌をやってます」などとくっちゃべる。ここがアメリカだなーと思うのは、聞いている方も素直に黙って聞いているわけではないことだ。すぐにみんなが次々と手を挙げて「なんで犬とか猫とか飼わないんですかー?」とか、「どうして魚が朝ゴハン欲しがっているか、わかるんですかぁ?」とか、鋭く突っ込まれて、答えられなくなっちゃったりして、一方的に喋ってハイ終わり、というわけにはいかない。あげくの果てには、棒読みで覚えてきた文章を喋っていたりすると「つまんないでーす」って言われて撃沈する。(Photo by: woodleywonderworks)
もちろん、このやり方には弊害もある。それは、才能があって努力もするんだけど、どうも口べた、という人が損をする社会が出来上がり、ペラペラと自分をアピールできるお調子者の口先ヤローが実力以上に昇進していくという弊害だ。アメリカのCEOを見ればよくわかる。どいつもこいつも清潔感をアピールする外見で、ウィットに富んだジョークを織り交ぜながら、パワーポイントの資料を見せることに長けている。(アメリカのCEOでスピーチが唯一下手なのはビル・ゲイツだと言われているぐらいだ。彼はずっとオタクのワンマンで、株主総会でみんなのご機嫌を取る必要がなかったから、とされている。)で、スピーチほどにはこいつらの実力がともわなかったから、バブルがはじけて今の経済危機があるんじゃないかと思うぐらいだ。
スピーチが才能と訓練を必要とするアートだとしたら、オバマは天才的なスピーチメーカーというわけではない。報道する側の人間にとって、オバマのスピーチは記事にしにくい。内容はあるんだけど、見出しにできるキャッチフレーズがちりばめられていないからだ。
これが天才的にうまかったのが(ボケる前の)レーガン。2流とはいえ、元ハリウッド俳優だもんね。もうカリスマの域に達していた。言っていることには全く賛成できなくても、聞いているだけで納得させられてしまっているってな。
クリントンもカリスマという点では、天才だった。いったん日本語に訳された記事にしてしまうとそれは伝わりにくいせいもあって、日本での彼の評価は「下半身がだらしない田舎者」というものだったはずだ。でも、この田舎臭い親しみやすさが実は彼の強力な武器で、クリントンだってアイビー大学出身のローズ奨学生というエリートなのだけれど、出身がアラバマ州という点を活かして、(おそらくわざと)田舎臭い朴訥なアクセントとアピールで赤い州の住民にもアピールできたのだ。同じような経歴なのに、ヒラリーがどれだけ嫌われてきたかを考えてもそれは納得できるだろう。
先月のアカデミー賞では日本人が短編アニメ賞と外国映画賞を受賞して、日本のメディアではけっこう盛り上がっていたようだけれど、特に日本に興味がないアメリカ人に、アカデミー賞の感想を訊いたとしたら、「そんな人たちいたっけ?」と言われておしまいだろう。
ユダヤ系が多いハリウッド業界は、その創設の頃からアメリカの平均的な主流の人たちよりもリベラルな考え方をする人たちが集まっている。日本で役者を「河原乞食」と言ったのと似ていて(ちなみに今では使ってはイケナイとされる差別用語になっているが、現実としてあった差別をなかったように書くことは私にはできないので、使う)、普通の人からどこか「外れた」人たちが自分たちの世界観を表現しようとして目指すのが演劇や映画の道だったというわけ。
去年の大統領選挙でも、オバマ候補の方がハリウッド業界の支持を得ていて、寄付金もたくさんもらったし、著名なスターの後押しもあった。そういう事情のあるハリウッドの人たちが、壇上でスピーチをするとなると、関係者にお礼を言った後のメッセージはリベラルなものになって当然。
今回の例で言えば、「ミルク」で脚本賞をとった男性も、主演男優賞をとったショーン・ペンも、声高にゲイ同士の結婚を認めないとするカリフォルニア州のProp 8法案に反対する旨のスピーチで会場を大いに盛り上げた。助演男優賞のヒース・レジャーも一般人の家族が出てきて、それなりに堂々とした態度で臨み、会場の涙を誘った。
映画賞に輝いた「スラムドッグ・ミリオネア」に関わったインド人の人たちも、あの国のエリートである限り、英語力に不足はない人が多い。
一方で日本人勢はどうか。まずは加藤久仁生氏。
まぁ、一般の人はほとんど誰も見てない短編アニメ賞なので、時間はちょっとしかもらえないし、関係者にありがとうと伝えて素直に引っ込むのが筋だろう。最後の「ドモアリガト、Mr.ロボット」というのは、配給会社Robotと、スティクスの曲をもじって、これはアメリカ人の笑いを誘った。合格。
さて、外国映画賞の滝田洋二郎氏。あ〜あ、もったいない。元々、本命はThe ClassかWaltz with Bashirだと言われていたので、スピーチを用意していなかった、用意していたとして本気で練習していなかった、という言い訳もあるかもしれない。だけど、あれだけ世界中から注目される一瞬なんだから、もう少しなんとかならないのか。
アカデミー協会と関係者にお礼を言うのは定番なので、一番短くすませるとすればこうか。
I thank the Academy and everyone involved in the making of this film.
「おくりびと」の英語タイトルDeparturesにひっかけたいのなら、こうすればどうか。
I hope that this will be a new departure for me, and I shall return to this stage… alive, I hope.
なんてどうだろう。言いたいことは同じだし、これで最後に笑いもとれる。日本の報道で受けていたとか、流暢な英語とか、笑いを誘ったとか書いてあったが、誤報に近いよ、それじゃ。ハハ、と乾いた笑いが起こったぐらい。
私だったら、ここでイラク戦争やガザ紛争にガツンと一言いってやるね。
With each departure, we’re reminded how precious life is. There is same drama being repeated in Gaza, in Basra, and in Kabul, as we speak. If the world leaders attended to each departure of their precious youth, how could there be prolonged fighting? I implore you, not to look away from each of your own soldier, coming home in a flag-draped casket. They have an important message for you, a message of peace.
(死者を一人送り出すたびに命の尊さを噛み締めることになる。ガザで、バズラで、カブールで、今日も同じドラマは繰り返されている。もし世界の指導者たちがもっと一人一人の死を受け止めたら戦いを続けるなんてできはしないだろう。お願いですから、国旗で包まれた棺で帰国する兵士たちから目をそらさないで下さい。彼らは大切な、平和のメッセージを伝えようとしているのですから。)
なーんてね。まぁ、「ガザ」という地名を出した時点で、脇からシークレットサービスに抱えられて即退場なんてことにもなりかねませんが、そうすればしばらくアメリカ人の記憶に残ることはできます。中川さんや麻生さんが残してきた汚名も返上できることまちがいなし。
ちなみにショーン・ペンのスピーチを訳してみた。彼の口調を再現するためにかなり意訳。
「どうも、どうも、おホモだちの赤旗やろうども。受賞するとは思ってなかったが、俺ととことんつきあうのがどんなに大変かってことは重々承知している。もしものために一応、おまえら赤旗やろうとおホモだちの名前をメモっておいたぞ。親友のサタ・マツザワ。ずっと応援してくれたマラ、ブライアン、バリー、ボブ。偉大なるクリーブ・ジョーンズ。すばらしい脚本家のランス・ブラック。プロデューサーのブルース・コーヘンとダン・ジンクス。
そして俳優なら誰しも知っていることだが、最初の打ち合わせから最後の編集まで、ここまで才能あふれ、忍耐強く 、俺たちの可能性を引き出してくれるのは監督以外にいない。その最たる例がガス・ヴァン=サントというわけだ。そして最後に、会場に俺たちが着いた時に憎しみの籠ったプラカートを掲げてたヤツらに告ぐ。ゲイ同士の結婚に反対の一票を投じた者は、じっくり末代まで自分たちの恥を知るがいいさ。
みなに平等な権利が与えられて当たり前なんだ。あと2つ言わせてくれ。優美なるオバマという男を大統領に選んだこの国を誇りに思うし、試練を与えながらも勇敢な芸術家を育てる度量のあるこの国も誇りに思う。同じ勇敢なる他の候補者への尊敬の念をこめて言いたい。不死鳥のように立ち上がったミッキー・ローク、お前は俺の兄弟だぜ。どうもありがとうよ。」(Photo by: Greg Hefner)
かなーり、刺激的。あれだけ映画でクネクネしといて、この威勢のよさ、脱帽です。









