反対されたから行きたくなる、やっぱり村上春樹はエラい小説家かも—Three Cheers for Murakami for defying protests and flying to Jerusalem

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反対されたから行きたくなる、やっぱり村上春樹はエラい小説家かも—Three Cheers for Murakami for defying protests and flying to JerusalemBooks and the City

町中でおでこが黒く汚れている人を見かけると、そうだ、今日はAsh Wednesdayだったと思い出す。マンハッタンにもけっこうカソリック教徒もいるんだなぁ。アイルランド系か、イタリア系か? この後lentが始まって、それが明けるとイースターだなー、街が卵モチーフとウサギの飾りで賑やかになるなーと思ったところで、思い出しました。やりかけていたこと。エルサレム賞をとった村上春樹のスピーチを訳しかけて放っておいたんだっけ。

ま、ネットで探せばいくらでも全文訳は出てくると思いますが、私バージョンをどうぞ。

「今日の僕はこのエルサレムへ小説家として、つまりプロの嘘つきとしてやってきた。

もちろん、嘘をつくのは小説家だけではない。ご存知の通り、政治家も嘘をつく。外交官も軍人もときどき彼らなりの嘘をつくし、車の販売員も、肉屋も、土建屋もご同様。小説家の嘘がちがうのは、誰もそれを悪いと言わないことだ。むしろ、嘘が大きく巧妙なほど、そしてもっと上手であるほど、読者にも書評家にもほめられる。それはなぜなんだろう?

僕なりの答えはこうだ。上手な嘘をつく、つまりいかにも本当のような架空の話を作ることによって、小説家はかえって真実を引き出し、違う場所に新たな光をあてることができる。たいていの場合、ありのままの真実ってやつをそのまま描写することは不可能に近い。だから僕らは隠れている真実のしっぽを引っぱり出し、架空の場に移し、フィクションという形を与える。でも、これをやるには、まず僕らのどこに真実があるのかを見極めなければならない。これが巧く嘘をつくための大切なコツだ。(Photo by: 川燙蝦夷)

でも今日は嘘をつくつもりはない。できるだけ正直になろうと思う。1年のうちでも嘘をつかない日はあまりないけれど、今日はそのうちの1日だ。

だから真実を言わせてもらおう。日本で何人もの人からエルサレム賞をもらいにくるのはやめろと言われた。行ったら、僕の本の不買運動が起こるかもしれないと忠告した者もいた。その理由はもちろん、ガザで熾烈な戦いが続いているからだ。国連は包囲されたガザ市で1000人以上の人が命を失ったと発表した。その多くが武器を持たない子供や老人だったことも。

受賞の知らせがあってから何度も、こんな時にイスラエルに行って文学賞を受け取っていいものか、紛争の片側だけを支持しているという印象を与えはしないだろうか、圧倒的な軍事力を行使する国の政策を認めていると思われないか、と思い悩んだ。そういう印象を持ってもらいたくはない。どんな戦争であろうと僕はそれに賛成しないし、どんな国をも支持しない。もちろん、僕の本がボイコットの対象になるのもごめんだ。

考えあぐねた末、ここに来ることにした。大勢の人が反対したからこそ、その気になった部分もある。小説家にありがちな、天の邪鬼なところがあるのかもしれない。「ああしろ、それはやめとけ」と言われれば言われるほど、ああしないで、それをやりたくなってしまう。それが小説家の性なのかもしれない。もの書きというのは変わった人種で、とにかく自分の目で見て、自分の手で触ってみないと何も信じられないのだ。

だから僕はここにいる。敢えてここに来ることを選んだ。見ないふりをするのではなく、自分で確かめることにした。口をつぐまず、発言する道を選んだ。

ひとつだけ、個人的なことを言わせて下さい。紙に書いて壁に貼ったりはしないけれど、心にしっかり刻みつけるように、いつも小説を書いている時に心がけていること。それはこういうことだ。

「高く、硬い壁にぶつかって卵が壊れそうな時は、いつも卵の味方をする」

そう、どんなに壁が正しくて、卵が間違っているとしても、卵の側につくだろう。どちらが正しいのかは他の人が決めればいい。時が経てば歴史が答えを出すかもしれない。もし、どんな理由にしろ小説家が壁の側についてしまえば、その作品にどんな価値があるだろう?

この比喩は何を指しているのか? とてもシンプルでわかりやすい時もある。爆撃機や戦車や白リン弾はその高くて硬い壁だ。卵は武器を持たないのに撃たれ、燃やされ、つぶされる一般市民だ。

それだけではない。もっと深い意味もある。考えてみてほしい。僕たち一人一人は卵のようなものだ。誰もがもろい殻で魂を包まれたかけがえのない卵だ。僕もそうだし、君たち一人一人も卵なのだ。そして誰もが多かれ少なかれ、高くて硬い壁を前にしている。その壁は「体制」という名前だ。体制は僕らを守るべきものなのに、ときどき一人歩きをして僕らを殺し、殺しあうようにしむける。冷たく、効率的に、整然と。(Photo by: Noam Garmiza)

僕が小説を書く理由はたった一つ、魂の尊厳を引っぱり出してそこに光をあてるためだ。書くことによって警鐘を鳴らし、体制をあぶり出すことによって、それが僕らの心をがんじがらめにし、傷つけることがないように。生と死の物語、愛の物語、読者を泣かせ、恐れおののかせ、笑いを誘うような話によって、魂の一つ一つに息吹を吹き込むのが小説家の仕事だと信じている。だからこそ毎日、真面目に嘘の話を作り続ける。

私の父は90歳で他界した。学校の先生をしていて、仏僧でもあった。大学院在学中に父は陸軍に招集され、中国で戦った。戦後生まれの僕は、彼が毎日、朝食前に家にある仏壇の前で祈りを捧げているのを見た。いつだったか、なぜそんなことをするのかと訊いたとき、父は戦場で亡くなった人々のために祈っているのだと言った。敵味方なく、亡くなった人みんなのために。仏壇の前に跪く彼の背中に、僕は死者たちの影を感じたような気がした。

父が亡くなったとき、僕が知らない父の記憶も失われてしまった。けれど彼が纏っていた死の影は今も僕の記憶の中にある。僕が彼から引き継いだ数少ないものの一つだけど、大切なものだ。

今日みなさんに伝えたいことはたった一つ。僕らは同じ人間で、国境や人種や宗教を違いこそあれ、同じ「体制」という硬い壁を突きつけられたもろい卵だということだ。その壁はあまりに高く、強く、冷たく、打ち勝てる望みがあるようには見えない。もし勝利への希望があるとしたら、僕ら一人一人がかけがえのない者であるように、他人もまた同じようにかけがえのない存在だと信じ、互いの魂を通わせて暖をとることでしか得られない。

考えてみてほしい。僕たち一人一人は感じとれる生きた魂を持っている。体制にはそれがない。体制に搾取されてはいけない。体制に好き勝手させてはならない。僕らは体制から産まれたのではなく、その体制を作ったのは僕らだった、それだけだ。」

色々反対意見もあっただろうけど、私も天の邪鬼だから彼の決心はわかるつもり。

written by Lingual

ニューヨークと東京を往復する文芸エージェント。 日本の著作品を欧米マーケットに売り込むべく孤軍奮闘中。
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  • Kay

    あらら、次の記事を読んでコメント書いちゃったけど、ここにKayさんの訳があったんだ。

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