Chelsea


チェルシー地区といえば、今やソーホーに代わって美術館や売れっ子アーティストのギャラリーが立ち並ぶ、artsyな地区となっている。一昔前、私もチェルシーの住人だったが、追われるようにして今住む東側に引っ越してきた。何に追われたというのか? その頃、津波のようにどんどん引っ越してきたゲイのお兄様たちに、である。

最初はそれに気づかず、「あら、最近小じゃれたレストランやショップが増えてきたわ、ルンルン」などとノンキに構えていたのだが、ある日、女友だちと映画を観た帰りに立ち寄った、いつものバーの雰囲気が違う。青やら紫のネオンが何やら怪しい雰囲気。ビールをすすりながら「ね、ここ、オーナーが変わった?」「だいぶ改装したんだね」と辺りを見渡しながら言った途端に、店の隅で舌をからませている男性カップルが目に入って、2人とも事情を察して顔色がサーッと変わった。(ゲイバーになってるじゃん!)あたふたとビールを飲み干してその場を後にした私たちだった。

別にゲイの人たちを差別するつもりはないが、差別された悲しい思い出ならいくつもある。「Big Cup」というコーヒーショップでは、カウンターのお兄ちゃん(もちろんゲイ)は私を飛び越して、後ろにいた客のお兄ちゃん(もちろんゲイ)の注文を先に取るし、アンティークショップに入ったら入ったで「いらっしゃい」の一言もなく無視されていたのに、他の客(もちろんゲイのお兄ちゃん)がやって来た途端、「あーら、いらっしゃい」とコーヒーまで出てきてたりして、遂に「ここにいたんじゃ、男との出会いはない」と悟って引っ越したってワケ。

ま、それはいいとして、ホテル・チェルシー(222 W. 23 St. bet. 7-8 Aves.)は日本のガイドブックにもよく載っているので今さら説明はあまり要らないかもしれない。でも、どちらかというと「文学」よりも「アート」の側面ばかり紹介されている感じなので、敢えて「文学的ゆかり」に焦点を絞って話を進めることにする。チェルシー・ホテルがホテルになったのは、1905年のことで、それまではCo-opのアパートだった。

この「コアップ」という形態は日本ではあまり馴染みがないかもしれないので、説明しておくと、住人が「株主」となって共同でアパートのビルを管理していく、というやり方だ。これに対し、ただ単に物件を買う、いわゆる分譲は「コンドー」と呼ばれる。一番大きな違いは、コアップでは、住人で組織する運営委員会が建物の外装、内装、そして新しい住人の選択にかなりの発言権を持っていて、たとえお金を払って住んでいる住人でも好き勝手にできないという不自由さがある。入居希望者を許可するかどうか、それこそ仕事からプライベートなことに至るまで根ほり葉ほり聞かれ、どんなにお金のある芸能人でも「こいつが入居すると、ファンが家の前に集まったりしてうるさくなる」と思われると却下されてしまうのである。

ちなみにニューヨークでも時々、やれマドンナがセントラルパーク西側のコアップに入れなかったとか、東側の五番街のコアップはさらにウルサイので、最初から申し込みさえしなかったとか、有名なセレブが却下されてニュースになったりする。

で、チェルシー・ホテルの話に戻ると、今もホテルの泊まり客以外の「コアップ」住人が大半を占める珍しい建物、ということができる。ロビーに飾ってある絵も、家賃を払えなかったアーティストから現物で取り上げた、っていうものも多いらしい。フロントへの入り口の両脇には、ディラン・トーマスやトーマス・ウルフらが住んでましたって書いてある銅板がいくつも並んでいる。ビレッジ編で紹介したマーク・トウェインやO・ヘンリーもここに住んでいたことがある。

一番古い文学士住人は書評家でもあったウィリアム・ディーン・ハウエルズあたりかな。「毎日がクリスマス」や「サイラス・ラバムの出世」などは日本語にも翻訳されている。(絶版になっている気がするけど。)この辺の古い話は常磐新平おじさんの方が詳しそうだね。後はデューイ十進分類法という図書館の本の分類法を考え出したメルヴィル・デューイとか。

トーマス・ウルフ(トム・ウルフじゃないよ)がホテル・チェルシーにやってきたのは 1937年。持ち込んだトランクには「汝は故郷に帰れず」などの原稿が詰まっていたという。でも、彼は原稿を書き上げるやいなや、37歳という歳で夭折してしまう。ホテルの8階の部屋で仕上げられた原稿はみんな没後に発表されることになった。

50年代になってホテルの住人になった作家に「若いロニガン」3部作を書いたジェームス・T・ファレル、「グループ」で知られる毒舌女流作家のメアリー・マッカーシー、そしてウェールズ出身の詩人であるディラン・トマスらがいる。だが、ディラン・トマスは1953年、自著の朗読会ツアーでアメリカ中を回っている時に、(ビレッジ編で紹介している)ホワイト・ホース・タバーンからチェルシー・ホテルに戻る途中に急性アルコール中毒で意識不明に陥り、近所の聖ビンセント病院にかつぎ込まれたが、そのまま他界。

60 年代の有名な住人といえば、「セールスマンの死」のアーサー・ミラー。その他にこのホテル滞在中に書かれた有名な作品といえば、アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」が挙げられる。ちょっと変わったところでは、クリフォード・アービングが大富豪ハワード・ヒューズの自伝を「偽造」したのもここ。

その後、「裸のランチ」で知られるウィリアム・バロウズも、詩人のジェームズ・シュイラーも、ただホテルに宿泊するんじゃなくて、ここの住人だった。でもやっぱり70年代では、アンディー・ウォーホールがここで映画を撮ったとか、セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスがガールフレンドのナンシー・スパンゲンを刺し殺したっていうエピソードが主流(?)ですね。

こうやって書いていても「死んだ」っていうパターンがなんだか多くて、よくこれで「呪われたホテル」というレッテルが貼られないな、と感心する。霊感の強い人にはあまりお勧めできないかも。霊感が強くなくても特にお薦めしないな。最近はちょっと改装してそれなりにキレイになっているらしいが、かなーり古く、ここにかつて泊まったアーティストたちを偲ぶ、という目的がないならば、タダの狭い・古い・汚い部屋も多いらしいから。今は特に誰か有名な人が住んでいるという話も聞かないし。

で、チェルシー地区の「文学ゆかりの地」が他にあまり思いつかなかったので、ひとつだけ、バロウズらと「ビート・ジェネレーション」を築いた作家、「路上」「荒涼天使たち」のジャック・ケルアックが住んでいた建物を紹介しておく。場所は、454 W. 20 St.、9番街と10番街の間にある4階建ての小さなビルだ。ケルアックはそれまで、放浪の旅に出ていないときは、お母ちゃんのアパートで「パラサイトシングル」していたらしいが、ガールフレンドのジョーン・ハヴァティがこの住所にアパートを借りて2人で住むことになったらしい。

こんなエピソードが残っている。普通の長方形の紙にタイプしていたのでは、いちいち話を中断して新しいシートを差し替えなければならないことにいらついたケルアックは巻物のような長い紙にタイプすることを考えつき、画家が使う大きな紙を細長く切って繋げたものを使って「路上」を1ヶ月で書き上げたそうな。それを見たトルーマン・カポーティ(「ティファニーで朝食を」)は「そんなのはライティングじゃなくて、ただのタイピングだろ」と嫌味を言ったとか。

で、その後のケルアックはどうなったかというと、ハヴァティから「妊娠した」と告げられたとき、自分の子じゃないといって「堕ろせ」と言ったらしい。結局、生まれてきた女の子を認知することなく、ケルアックは母親の家に帰っていった。そして彼もまた酒に溺れて短い人生を閉じることになる。

WILLIAM DEAN HOWELLS primary works:
「サイラス・ラバムの出世」THE RISE OF SILAS LAPHAM (1885)
「新興成金の奇禍」A HAZARD OF NEW FORTUNES (1890)
「毎日がクリスマス」 CHRISTMAS EVERY DAY (1892)

THOMAS WOLFE primary works:
「ブルックリンを知っているのは幽霊だけ」ONLY THE DEAD KNOW BROOKLYN (短編)
「天使よ、故郷を見よ」LOOK HOMEWARD, ANGEL (1929)
「時と河について」OF TIME AND THE RIVER (1935)

DYLAN THOMAS primary works:
「ディラン・トマス全集」国文社
「ミルクの森」UNDER MILK WOOD (1954)

JACK KEROUAC primary works:
「路上」ON THE ROAD (1957)
「地下街の人びと」THE SUBTERRANEANS (1958)
「孤独な旅人」LONESOME TRAVELERS (1960)
「ビッグ・サー」BIG SUR (1962)
「荒涼天使たち」DESOLATE ANGELS (1965)

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ニューヨークと東京を往復する文芸エージェント。 日本の著作品を欧米マーケットに売り込むべく孤軍奮闘中。
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