メモワールの落とし穴はあやうい記憶の功罪—Another fake memoir rattles the publishing world


2009年2月に刊行予定だった1冊のメモワールがキャンセルになった。ナチスの収容所に入れられた少年が一人の少女と鉄条網の壁越しに出会い、パンやリンゴを分けてもらっていたのが、大人になってひょんなことがきっかけでその彼女とニューヨークで再会し、結婚に至ったという奇跡のラブストーリーを綴ったメモワールだったのだが、当時実際にそんなことはあり得ないという批判の中で、この夫婦がウソを認めた、というのが大筋だ。

アメリカの出版業界で「」というジャンルが確立されたのは90年代半ば頃だろうか。いわゆる「回想録」だが、「私小説」でもなく「ノンフィクション」でもない。Autobiographyと違うのは、書き手が有名人である必要はなく、人生の終わりに一生を生い立ちから順を追って振り返るのでもなく、ただ自分の半生を自分自身の言葉で赤裸々に吐露するのがメモワール。

その頃、アメリカでヒットしたものはけっこう日本語訳が出ているものが多い。どれもあまり売れなかったけど。破天荒なテキサスの一家を描いたメアリー・カーの『うそつきくらぶ』、女性のアルコール中毒患者の内面がよくわかるキャロライン・ナップの『アルコール・ラヴァー』、父親との近親相姦を告白したキャスリン・ハリソンの『キス』など。そこそこ売れたのではアイルランドのどん底貧乏生活が描かれたフランク・マコートの『アンジェラの灰』、親からの虐待が凄まじいデイヴ・ペルザーの『Itと呼ばれた子』などなど。(Photo by: Mewroh)

内容的に近親相姦、レイプ、貧困、各種中毒、歪んだ対人・家族関係を扱ったものが多く、ギョーカイでは「misery lit(ミジメもの)」という言葉まであった。そういえば、昔「若い歳でメモワール書いちゃった作家は次どうするの?」という主旨のコラムを書いた気もするが、エリザベス・ワーツェル、オーガスティン・ブロウズ、ニューラ・オフエイラン(Nuala O’Faolainの日本語表記に関しては色々あるだろうが、私は何度も複数のアイルランド人に彼女の名前を発音してもらって一番近いカタカナを当てはめている)などの作家は「メモワリスト」という肩書きが付くほど、飽きずに自分のことばかり書いているクチだ。

日本でも、それまで恥とされてきた過去を敢えて前面に押し出す本がベストセラーになった気がする。大平光代の『だからあなたも生きぬいて』、飯島愛の『プラトニック・セックス』(『ダディ』とか『ふぞろいの秘密』など、タレントの暴露本とはちょっと一線を画したい)あたりはヒットしましたね。柳美里も私の中ではメモワリスト。下手なフィクションより迫力がある、っていう点で。

メモワールとは何ぞや、をわかってもらった時点で本題に戻る。

件のメモワールはフロリダ在住のユダヤ人カップルの話で、タイトルはANGEL AT THE FENCE: The True Story of a Love That Survivedの予定だった。元々、95年にニューヨーク・ポスト紙が募集した「あなたのラブストーリーを聞かせて下さい」というコーナーに寄せられた投稿に端を発した。このコンテストで優秀賞を射止めたヘルマン&ローザ・ローゼンブラット夫妻はニューヨークへの招待旅行を当て、2人の談話が新聞に掲載されたのがオプラ・ウィンフリーの目に留まり、番組に招待されたというわけだ。

当時へルマンによれば、彼がドイツのブーヘンヴァルトのキャンプにいた頃にローザに出会ったという。彼女は身分を偽り、キリスト教徒の農家の娘を装っていたが、鉄条網越しにヘルマンに出会い、リンゴやパンを投げ与えた。そして15年後、偶然にもニューヨークで再会を果たす。友人らがセットアップしたブラインド・デートの相手だったというのだ。「キャンプにいた少年にリンゴを投げたわ」「その男の子は靴もなくて、ぼろ布を足に巻いていた?」「ええ、そうよ」ってんでお互いを認めたっちゅー話なんだが。

感動したオプラは「今まで聞いた中で最高のラブストーリー」と2人を褒めたたたえ、結婚50周年を記念に再び番組に呼び寄せた。実はそれまでにこの話を元に児童書を書いた作家もいる。映画化も決まり、ヘルマンが書いたメモワールは2月にペンギン社から刊行される予定だった。

ところが、当時のことを知る人たちや歴史家がこぞって「警備の厳しいブーヘンヴァルトでは、収容者が塀に近づくことなどできなかった」と指摘、とうとうヘルマンは嘘を認めることになった。

「人々に幸せを与えたかった」「憎しみあうのではなく、愛し合うことを伝えたかった」ことを理由としている。まぁ、元々は新聞の投稿でニューヨーク旅行をせしめて終わり、で済んだことかもしれないが、それが雪だるま式に膨れ上がったということだろう。

ことホロコーストに関しては、多くのユダヤ人団体がこういった嘘の供述を警戒している。迫害の事実は伝えていかなければならないが、嘘や誇大があっては歴史がちゃんと伝わらない、ホロコースト否定説を唱える人たちの餌食にされてしまうという認識があるからだ。

(これは日本の戦史にも言えると思う。南京事件や従軍慰安婦の問題も、日本政府が隠そうとすればするほど、他の団体が実際よりも誇張して後世に伝えかねない。きっちり調べてお互い事実を確認しあう方がマシのような気がするのだが。)

とにかく、年明けのイチ押し商品としていた本がキャンセルになって、大損こいたのは版元のペンギン社だ。こういう場合、アドバンスと呼ばれる著者が受け取った印税の前払い金は払い戻される決まりなのだが、あまり強制されていないのが事実だ。

そして、出版社と著者の契約の中には「この本の内容に関して、著者は事実であることを誓います」という一筆をとるだけで、実際のところメモワールでもノンフィクションでも、出版社側が逐一細かいところまで事実確認がされていないことも出版社の弱い部分だ。著者のエージェントもやり玉に挙げられているが、「あまりにもいい話なのでついうっかり事実確認に及ばなかった」と情けない答弁をしている。

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ニューヨークと東京を往復する文芸エージェント。 日本の著作品を欧米マーケットに売り込むべく孤軍奮闘中。
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