吉野屋の牛丼を食べながら狂牛病全頭検査とリスクのあり方を思うーMulling over mad cow disease and risk-taking at Yoshinoya


今日はお昼に吉野屋の牛丼をいただきました。Yoshinoyaは今マンハッタンで3軒あるのかな? これからも通常通り営業するそうです。ただし、こっちでは普通サイズが3.49ドル、大盛りが4.99ドルと、デフレ街道まっしぐらの日本と比べると、ややお値段は高め。でもまぁ、きょうびニューヨークではサンドイッチとジュースを買っても軽く8ドルぐらいになったりしてしまうので、”beef bowl”はお手軽なランチメニューとして、けっこうアメリカ人にも受け入れられつつあるようです。

日本では間もなくチェーン店の牛丼が食べられなくなるそうですね。お気の毒なことです。今日は狂牛病かと思えば、明日は鳥インフルエンザ、そのうち豚だってSARS騒動みたいなのが起こらないとはいえません。そうなったら、日本はどうするんだろ? 国を挙げてベジタリアン指向? 野菜だってものによっちゃ相当量の農薬が入っているんだろうし、遺伝子操作のものもこれからどんどん出てくるだろうし、養殖の魚だって抗生物質漬けか、あるいは生け簀の中で溜まったストレスが発ガン性物質になって含まれてんのかもしれないし、それこそ都会での生活を捨てて、自分で畑を耕して家畜を飼わない限り、この世の中に100%安心して口に入れられるものなんてないのでは? そして果たして食べ物が本当に安全なのかという判断を政府にさせること自体、無理なのでは?

ビーフ大国アメリカに向かって「一匹残らず検査しろ。じゃねーとテメーラの肉はもう輸入しねーぞ」とエラク粋のいい啖呵を切ってみたのはいいけれど、毎月のお小遣いを数万円しかもらえないサラリーマンのお父さんたちや、メジャーデビューを夢見て生活を切りつめながらバンド活動にいそしむフリーター君たちから、定番メニューを取り上げるなんて、日本政府も野暮なことをしますね。ま、自分たち政治家は(さすがに最近は皆パンツをはいているお店に行くんだろうけど)和牛のしゃぶしゃぶでも食べてればいいやという気持ちなのでしょう。ったくMoo。

ちょうどNYタイムズに狂牛病検査の各国比較が出ていたので、読んでみました。それによるとフランスやドイツではかなりの数を検査していますが(それでも全体の半分以下)、最初に狂牛病が報告されたイギリスでさえ15%止まり、これらの国々に比べて年間3600万頭という、桁違いに多い数の牛を食肉にするアメリカでいちいち1頭1頭調べていたらキリがない、当面の間と称して輸入規制をしても、全頭検査なんてことはこの先も不可能だということぐらい分かってるでしょうに。

アメリカ人は狂牛病に危機を感じていないのか?と聞かれれば、答えは「ぜ〜んぜん」。人様には平気でクジラを食べるな、などと文句タレるくせに、明日からビーフを食べるな、などと言われてもとうてい無理なくらい、この国の人たちは牛にハマっているわけです。霜降りだの、タンだの、モツだのと、しまいにゃホーデンだの、ギアラだのと色々なパーツが好きな日本人と違って、アメリカ人はTボーンだの、テンダーロインだの、ポーターハウスだのと、ひたすらリーンな(脂身の少ない)赤身が好きなので、ステーキやハンバーガーをいくら食べたところで元々、脳細胞を媒体に感染する狂牛病にはかかりにくいわけだしね。とある日本通の友人に至っては「毒がある、ってわかっててフグ刺し食べるくせに、日本人は何をそんなにビビっているわけ?」と鋭い指摘をされてしまいました。そんなの私に聞かれたって。

1頭でも感染したら、その国から全部輸入禁止措置にする、こういうall or nothingというのか、柔軟性のない姿勢では、すべてが多様化する世の中を渡っていけない、国として未熟な対応であると私は牛丼を掻き込みながら思うのでした。それでも牛丼が食べたい人には、自己責任で食べさせればいいじゃないですか。そのくらいの判断も日本の国民はさせてもらえないわけですね。強引な理論だと思うムキもありましょうが、今回のイラク自衛隊派遣も、論点がずれているような気がするのはその辺です。まだ自爆テロの絶えない国に大勢の人間を送り込むのに、「絶対1人の犠牲者も出さない」なんて不可能なことを首相に誓わせることより、そのリスクがあると承知した上で兵隊を送るのか送らないのか、きっちり議論すべきだったんじゃないの?

日々、身の周りのリスクを認識しながら、自分の価値観に従って、どのリスクをどう回避するのか、あるいは危険性を承知で敢えて選び取るのか、自分で決めるのが大人の人間、ってやつじゃないでしょーかね? その昔、ビートたけしが「赤信号、みんなで渡れば恐くない」などとしょーもないギャグをかまして笑いを取っていた時代がありましたが、当時からそういうstrength in numbers(長い物に巻かれろ)的な思考じゃなくて「赤信号、車がぜんぜん来てないんだったら守る意味がない」の方が正しいだろ、と思ってた私。日本だと、車が来てない、細い、見通しのいい道路でも、本当にみんなひたすら(ぼぉっとした顔で)赤信号を守っているのを見て、ちょっぴり恐く思ったのを懐かしく思い出します。そもそも信号が何のためにあるのか、なんて考えるだけヤボかもしれないけど、法律や規則ってのは常々「誰が、何のために」作っているのか考えないと、やみくもに従っていると雁字搦め(おおっ!こういう字を書くのか!)になって身動きとれなくなるからね。

自由であるためには、政府の見解やマスコミの偏重に惑わされず、何が正しいのか、自分にとって何が重要なのか、狂牛病恐さにアメリカンビーフの牛丼を食べるのをいっさい止めるのか、それでもお手軽なメニューとしてこれからも注文するのか、これからも石油確保のための侵略戦争に人命を投じてまで協力するのか、きちんと自国の軍備に力を入れて外交に取り組み日米安保に寄りかかるのをやめるのか、各自で答えを出さなきゃ、そのうち何にも食べられなくなるかも。

というわけで「リスクを負うのをやめますか? それとも人間やめますか?」と、ニューヨークの吉野屋の愛想もヘッタクレもないバイトのおねーちゃんが私に問うのでした。いや、私は食べるぞ。卵もつけてくれい。

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ニューヨークと東京を往復する文芸エージェント。 日本の著作品を欧米マーケットに売り込むべく孤軍奮闘中。
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