なぜか意外に(?!)、私がアメリカ人の男性を好きではないわけ(長文失礼)ーContrary to everyone’s impression, why I don’t like American men


以前から「国際結婚」について、日頃思うところを総括してみたいとは思っていた。今回そのキッカケとして、とある人に「私は(伴侶とするのに)アメリカ人なんて嫌いだし、国際結婚についてはどちらかというと否定的」と言ったら絶句するほど驚かれた、ということがあったからだ。そんなに意外だったのか、とこっちが意外だったぐらいだ。(→カボチャひとつとっても、大味でバカでかいパンプキンよりは日本のカボチャが好き↓)
そういえば、以前出席したことのある同窓会でも「ばりばりシングルで〜す」と自己紹介したら、思い切り驚かれて「昔のイメージで行くと今頃は外人相手に結婚・離婚・再婚を繰り返し、バツイチどころか、マルサンかマルヨンぐらいになっているかと思った」などと言われて、こっちが絶句したっけ。わたしゃエリザベス・テイラーかJ・ローか、みたいな。失礼にもほどがある。

とりもなおさず、この「国際結婚」という言葉からして変だしね。(というわけで、自分の語彙として不本意であるため、いちいちカギカッコを付けさせていただく。)元々結婚なんて、個人と個人の結びつきなのだから、国際結婚といってもそのこと自体には何のグローバルなところもないわけだし、国際結婚したからって当事者が国際的だということでもない。「国際結婚」をする日本人だって、何も「日本」を背負って結婚するわけじゃなし、相手も世界中の人とするわけじゃなくて、世界のどこかの、それももしかしたらどこか思いっきり田舎町の出身者と結婚するのかもしれないし、とすれば、これほどローカルでパーソナルなものもないだろう。

そもそも、英語には「国際結婚」という言葉すらない。例えば「ウチは国際結婚なんです」と言うつもりでアメリカ人に対して「インターナショナル・マリッジ」なんて言葉を使ったら、向こうはワケが分からず目を白黒させるだろう。世界のあちこちで入籍してるってことなのかしらん、などと思われるのがオチだ。アメリカ人の人が日本の人と結婚しているとしたら、単に「My spouse is Japanese.」と言うはずだ。

だいたい、この「国際結婚」という言葉が一人歩きして、おまけにそこには偏ったイメージがあるから、いわゆる適齢期の女性がそんなものに憧れてみたり、周りが特別視したり、ということになるんだろう。

その偏ったイメージとは、おおかた、金髪碧眼のハンサムなハズバンドがいて、家の中でもレディーファーストでかしずいてくれて、2人の間に生まれた子供は良いとこ取りの可愛いハーフで、英語も日本語もペラペラのバイリンガルで、ってなもんだろう。結婚に憧れている若い女性には申し訳ないが、私が知る限り、それは現実からは果てしなく遠い妄想だ。

だってね、同じ偏見の塊的に言えば、現実にはダンナはダサダサのジューイッシュで、レディーファーストというよりただのマザコンで、子供は悪いとこ取りの一重で毛深くおまけに剛毛で、バイリンガルどころか大きくなっても日本語も英語も中途半端、思春期にはその子供も「なんでこんな中途半端なアイデンティティーを背負った自分を産んでくれたんだ」と親を恨み、夫婦ラブラブで仲睦まじいどころか、ことある毎に「おまえの国の文化はオカシイ」と言ってケンカが耐えない、なんつードキュンな「国際結婚」の可能性もあるわな。

人の「国際結婚」に文句を付ける気はサラサラない。お互いそれで幸せならそれで結構。しかしネットの掲示板には、いつだって「国際結婚があーたらどーたら」と十把一絡げにして、自慢したいヤツ、蔑むヤツ、妬むヤツ、入り乱れて喧々囂々、中傷し合っているのが目につく。人の結婚のことなんて、ほっときゃいーじゃん、と思うのだが。

「国際結婚」組の常套句、「好きな人がたまたま外国人だっただけ」という言い訳臭いことを聞くのも苦手だ。それこそ最初から日本語が流ちょうな人とメールかなんかで文通しているうちに恋が芽生え、てっきり相手は日本人だと思っていたのに、会ってみたら外国人だった、というのならわかるけど、相手が「外国人」であるというのは出会った時点でわかっているわけで、「たまたま」なんぞという人は、結局のところ、相手が外国人だったことが恋愛の対象としてマイナスにならなかった、あるいはプラス要因だった、というのは明々白々。素直に「外国人であるところも含めて好きになった」と、その辺認めろよ、と言いたくなる。

それでも、私の周りにも大勢いる「国際結婚」組を見てきて、言えることは少なからずある。国際結婚の行く末として、とある親戚の話をしよう。夫が日本人、妻がドイツ人、今や2人とも齢70近い老夫婦だ。半世紀前の国際結婚といえば、かなり当時では珍しいのではないだろうか。親戚の叔父は、若い頃から「ハイカラ」というのか、若い頃から仕事柄ヨーロッパを転々とし、服装もあか抜けてて、昔から「日本はダメだ、文化も暮らしも、何もかもドイツの方がいい」と言うのが口癖で、亭主関白が当たり前だったような時代に奥さんにかしずき、日本食はしょうゆ味しかなくて不味いだの、日本の家は窮屈で住み難いだのと言い放ち、親戚が集まればドイツ自慢ばかり、「だったらドイツ人になればー」と毒づきたくなるほどだった。

その後本当に引退してドイツの片田舎に移住、自適悠々の暮らしをしていると聞いて、「そっか、ほんとにドイツ人になったんだな」と思っていた。仕事の出張ついでに、その叔父の家を訪ねたときだった。日本人は全然いないという小さなその村で、日本語さえももはや通じなくなっていたらどうしようと、密かに心配しながら叔父の家に着き、出された夕食を見てのけぞった。うな重に豆腐のみそ汁が食卓に並んでいたのだった。

一番近いハンブルグまで(もちろん)ベンツで飛ばして数時間かかるドイツの片田舎の町(っていうか村)だよ? 地図見ても名前も載っていないようなへんぴな土地だよ? こっちの胃だってブラットワーストかシュニッツェルの準備しかしてなかったよ。それがなぜウナジュウなんだー? なんで、何十年とドイツに住んでいる叔父が「いやー、やっぱりドイツ語は難しくてな。覚えきれんよ」と、こっちの時差ボケをいいことに夜中過ぎまでペラペラと、延々と日本語で喋り続けるんだー?

ところが、アッと驚くこの元ハイカラ叔父の豹変ジャパネスクぶり、食べ物だけではなかったのだった。叔父は寝る前に欠かさずNHKの朝の連続ドラマを見て(巨大なアンテナを取り付けてロンドンの日本語放送を受信していた)、梅干し茶漬けをすする(大量の山本山のお茶漬けの素がストックされていた)という生活をしていたのだった。そして聞けば、昔の同級生や同僚が日本から訪ねてくるとなると、ハンブルグだろうがブレーメンだろうが、遠い町まで出かけていっては、はりきって市内観光に引き回した上、寿司を食いに行くのが何よりの楽しみという。

これは何を意味するのか。

色々考えたんだが、やっぱり人間ってのは、若いときは愛する人のために異文化を受け入れられても、年を取ると、抗いがたい「ニッポン」ってやつがムクムクと頭をもたげてくるものらしい。この親戚の叔父の例だけを取って、こうだと決めつけるつもりはないが、吉目木晴彦の「寂寥荒野」という小説でも、戦争花嫁としてアメリカに渡った女性が、老後にアルツハイマーを煩うと同時に、心の奥底に葬って生活してきたはずの自分の中の「日本」の記憶のために、現実がわからなくなるというのがあって、なんだか妙に説得力があったのだ。

かくいう私だって、今までは「結婚相手を選ぶのに人種なんて関係ない」と思ってきたし、日本人・アメリカ人色々取り混ぜておつきあいをしてきたんだが、ここにきて「できれば日本人の方がいい」と思っている。日頃批判めいたことを色々と書き連ねていても、私は日本という自分の祖国を否定しているわけではないし、むしろそういった批判も(多少ひねくれた)愛国心から来ているわけで。

一生と共にする伴侶となる人と、和菓子と抹茶を一服頂くのが大好きな自分を、tea ceremonyっていうのは、こういうものでね、こんなことが楽しいのよ、といちいち説明するのが億劫になったのかもしれない。ジョナサン・レイセムの新刊もいいけど浅田次郎も泣けるよね、という会話ができた方が嬉しいだろうし、いつかシワシワの婆さんになった自分は、フロリダの海辺の町に住み、ポーチのブランコでレモネードをすすっているのではなく、日当たりの良い縁側で番茶をすすっていたい、と思うようになったからかもしれない。

結婚は個人と個人の結びつき、とは書いたものの、お互いの家族・文化と抜き差しならぬ関係になることは避けられない。留学などを理由に、それまで日本で普通の生活をしていた人が、いきなり外国に単身で来て「国際結婚」した場合、大変だなと思うのは、やっぱり言葉の問題、文化の問題、家族の問題だと思う。恋愛の最初の時期ならフィーリングで(あるいはセックスでもいいや)乗り越えられる障壁でも、結婚して一生顔を付き合わせるとなると、ケンカもするだろうし、とことん話し合わなければならない事態も出てくるだろう。そんな時に、母国語で思うことがあっても英語でコミュニケーションを取らなければならないとしたら、こりゃすごいストレスだろうな、と他人事ながら思うわけだ。

次に文化の問題。文化といっても、食べ物が違うとか、和式のトイレが使えないとか、そんなどーでもいいことではない。お互い、何かしらすれ違いがあったときに、それが個人的な価値観の違いによるものなのか、社会的に裏打ちされた相手の「文化」の問題なのか、どうやって見定めて解決するんだろうな、と思う。やっぱり社会的なものを多く共有していればしているだけ、相手のことを理解しやすくて楽なのになー。

そして家族の問題。産まれた子供が英語ペラペラの可愛いハーフでも、日本語が分からなくて日本のおじいちゃんやおばあちゃんと話ができない、っていうのは可哀相なんじゃない? ハーフだからって誰もがタレントになれるわけでなし。悪いけど、親がアメリカ人と日本人だからって、バイリンガルに育つという保障はどこにもないよ。子供をバイリンガルにしたい、って張り切っている母親に限って英語下手っぴ、って人が多いし。人生の半分をアメリカで過ごしてきた私でも、ソウルメイトと呼べるアメリカ人と巡り会って結婚したとしても、in-lawsの一員として完璧にとけ込めるかっていうと、やっぱり違うだろうな。サンクスギビングやクリスマスで親戚が揃うような場では、どうしても「オミソ」になったような気分からは逃げられないだろうな。

人生の半分以上アメリカに住んで、友だちには日本人もいれば、アメリカ人もいるという境遇で、日米分け隔てなく男と付き合ってきて、英語も日本語もコミュニケーションには全く困らないと言い切れるこんな私でも躊躇するくらい「国際結婚」って大変、できれば避けたいと思っている。もし、このコラムを読んでいる人の中に、漠然とした「国際結婚」に憧れている人がいたとしたら、私は忠告したからね。後は自己責任でやって下され。

親戚の夫婦以外にも、私の身の周りでは、私と同じように子供の頃からアメリカに来て、ずっとこっちの暮らしが長い人に限って、ダンナも日本人、というパターンが多いから不思議。ま、日本人と言ってもコテコテの日本人じゃなくて、やっぱり若い頃から外国暮らしを経験している日本人男性が多いんですがね。だから、こんな風に思っているのは、私だけじゃないと思う。

ということで、今私が希望するパートナーは、1番日本人(だけど柔軟な考え方の出きる人、ある種「変わり者」と言ってもいい)、2番目にヨーロッパ系(できれば北欧か、フランス、ドイツあたりの先進国で、異文化を受け入れられる都会人であることが条件)となっている。アメリカ人は赤丸つき急落中。だってお洒落な大人の男がいないし、ブッシュに投票するような世界知らずが多いし、ダメ。って最近はこればっかり言ってるんですけど、そんなに意外なのかしらん?

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ニューヨークと東京を往復する文芸エージェント。 日本の著作品を欧米マーケットに売り込むべく孤軍奮闘中。
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