日本人の「お土産病」が災いした(?)毎日新聞カメラマンのアンマン空港爆発事件ーJapanese’s Souvenir Syndrome led to bombing incident at Amman Airport

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日本人の「お土産病」が災いした(?)毎日新聞カメラマンのアンマン空港爆発事件ーJapanese’s Souvenir Syndrome led to bombing incident at Amman AirportBooks and the City

事件の詳細については各マスコミに任せる。このニュースを聞いたとき、私は「あ〜あ、これだから日本人は困るんだよね〜」と思ってしまった。

日本人の旅に欠かせないもの、それは「写真」と「お土産」だ。どちらも「そこに自分が行った」という証拠として欲しいのだろう。悪いことだと咎める気はさらさらない。しかし、時には写真とお土産を手に入れることが「旅」そのものに優先している気がすることさえある。風光明媚な光景を前に、ファインダーを通してしかそれを見ていない人、名所そのものからはさっさと引き上げてお土産店で長い時間を過ごす人…写真を撮ってお土産を買うために来てるのかい?という旅行をしている人を見るにつけ「好きじゃのう」と呆れていたことは事実だ。

ニューヨークに来る日本人観光客も然り。松井Tシャツに、ロックフェラーセンターをバックに撮った写真に、メトロポリタン美術館の絵はがきに、自由の女神を撮った写真—旅に一番だいじなのは形として残る「お土産」といわんばかり。「地球の歩き方」をなぞったようなマニュアル通りのコースをたどって「定番」を買って帰っていく。それより、道行く様々な人を見てよ、この街のエネルギーを感じてよ、と言いたくなる。

日本でも、観光名所と名のつくところには、必ずお土産屋さんがあちこちにあって、地元名物のお菓子だの、地域限定のキティーちゃんキーホルダーだの、とにかく「お土産を買わなきゃ、旅をしたことにならない」とでもいわんばかりだ。ちゃんとお土産屋さんで売っているモノならまだいい。ハッキリいって日本人は野草だの、何だのと、自然のモノを無断で取ってきちゃったり、写真を撮るために自然のモノをいじくってしまう、ケシカラン人が多い民族だ。

しかし、そんな証拠品がなければ、旅をしたことにならないのだろうか? 人に見せるために旅行するんじゃない。自分がそこにいって、きれいな景色を見て「感動」したのなら、その景色は写真に収めなくても目を閉じるだけで思い出せるはずだ。「モノ」を見ることで記憶を呼び覚まし、旅行を反芻するのだ、という意見もあるかもしれない。でも、お土産や写真がなければ忘れちゃうような旅は、結局それだけのものなんじゃないのか?

そんな「モノ」がなくても、目に焼き付いて離れない景色、地元の人と交わした言葉、美味しかった地酒や郷土料理の味が記憶のどこかに残っていて、何かの拍子に引き出されて懐かしめればそれでいいのではないだろうか? 旅先で見て聞いて感じたこと—「うわぁ、こんなの日本じゃ食べたことないな〜」とか、周りに流れる空気までもが新鮮で、自分の日常から遠いところに来ているな〜、というあの「感覚」こそが旅の醍醐味だと思うのだが? 

私はあまり写真を撮るのは好きではない。「うーむ、これは自分のホームページに載せたいな」とか、「これは写真に撮っておいて○○さんに見せたいな」って気分になった時にしか写真は撮らない。日本人の人たちと観光に行くと、名所をバックにみんなで写真をパシャリ。あれが何故かヒドク苦手なのだ。自分が写さなくても、「ほら、入って入って」とポーズを撮らされるのには内心ウンザリしている。ワシントンの桜を見に行ったときも「写真があるなら見せて」と言われて見せたら「誰も写ってないじゃない」と言われてしまった。そりゃそーだよ、桜を撮ってきたんだから。

日本人の感覚だけでなく、これに相対するアメリカ人の写真好きにも辟易することもある。

アメリカ人には「旅」ではなく、自分が大切にする「日常」を写真に収めて持ち歩く、という風習がある。財布を見れば家族や、自分の子供の頃の写真が入っているし、オフィスにはきれいなフレームに収まった家族の写真が飾られている。アメリカ人が仕事場のデスクに家族の写真を飾っているのを見ても、「なんで? 日本のサラリーマンみたいに四六時中、会社にいるわけじゃあるまいし、5時になったらさっさと帰ってすぐまた会えるのに。アメリカ人ってのはその日のうちに家族の顔を忘れるほどバカなのかねぇ?」と不思議だった。

今も私のデスクにはうちのネコの写真が置いてあるが、これは「夫や子供」という家族のいない私が、他のアメリカ人に合わせようとしている、さもしい行為だ。認めよう。さすがにご大層なフレームを買う気にはなれなくて、そのままボードにピンで留めてあるだけだが。こうしていると、オフィスで見知らぬ人が「あ〜ら、これ、お宅のネコちゃん? 私も飼ってるの」などと声をかけてきて「small talk」ができるというわけだ。(ちなみにアメリカのオフィスでは、みんなで研修をしたり、挨拶回りをしたりしないので、新入社員が自ら周りの人とコミュニケーションをとらないと一緒にランチを食べる人もできない。)

話は戻って、毎日新聞の五味記者の場合、職業がカメラマンなんだから、「お土産」となる写真は既にいくらでもあっただろう。でも、カメラマンとして撮った写真はあくまでも「お仕事」の延長だから、自分の旅のお土産、という感覚が薄かったんだろう。それはわかる気がする。問題は「お土産」となるモノだ。戦争でグチャグチャにされたばかりの国に「ユーフラテス川まんじゅう・遊富良」だの、「バグダッド宮殿の四季絵はがき」だの、カトちゃんより可愛いサダムちゃんキャラの携帯ストラップがあるわきゃないわな。アンマン空港の免税店が充実しているとも思えないわな。

だから、その辺に落ちている「お土産」を拾って持ち帰ることにしたのだろう。自分のアパートに女の子を誘って、わざと目立つ本棚に「爆弾」を置いてみる。女の子が「これ、なぁに?」と聞いたらすかさず「それ、僕がイラクで取材したときのお土産。爆弾か何かの部品だよ」「へ〜、スゴいのね」ってな展開が目に浮かぶ。あ〜、やってそう。

イースター島の巨大遺跡に名前を彫るヤツと並んで、旅先でマナーの悪い「困ったちゃん」賞受賞おめでとう…などとジョークを飛ばしている場合じゃないね。死者まで出ちゃったんだから。アンマンの牢獄でしっかり反省して欲しいもんです。

written by Lingual

ニューヨークと東京を往復する文芸エージェント。 日本の著作品を欧米マーケットに売り込むべく孤軍奮闘中。
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